第46弾 活動報告書

大変長い間放置していたことを先ず以ってお詫び申し上げます。

前回は岩手県の山田町での活動報告が最後で、その後「あすなろ応援便」としての東北行きが無く、地元のイベント等でチャリティ活動などをして今日に至りました。その間も仕事で仙台などに向かった際に立ち寄ったり、電話やメール等でご縁のある所とはコンタクトを取り続けてはいたんですが、漸く今回、第46弾としてご報告させて戴けることになりました。久し振りですので、相変わらず支離滅裂な文面になるとは思いますが、どうか最後までお付き合い下さい。

 

今回はGWの真っ只中、5月の2日出発で3日・4日と宮城県に向かいました。参加を呼び掛けたのも4月になってからで、色々予定も入っているから参加者は少ないだろうな~、とタカを括っていたんですが、最終的には鈴鹿から16名、現地合流が2名となりました。

応援便の過去をご存知の方ならお分かりでしょうが、今まで自慢じゃありませんが予定通りにいったことは一度もなく、必ずと言っていいほどトラブルや行程変更、忘れ物が付き物でした。ましてや行程スケジュールなど作った覚えも無く、全て自分の頭の中という何とも身勝手な行程を組んでいました。ところが今回はちょっと異なります! 新規の参加者が数名あり、東北は初めてという方もあったので訪問先の地図、行程表を作って全員にお渡ししました。おそらく予定通りには行かないだろうな~と無駄な労力になる気もしましたが、実は今回義父(82歳)が一度連れてってくれ、というので少しでもいい格好しなきゃ、というプレッシャーがあったのかもしれません。(^^;

さて、出発当日の午後3時頃から参加者が集まり始め、旧知の人、初めての人それぞれが挨拶を交わし、出発を待つのみとなりました。そこへトラブル発生! 今回参加して戴く方がこちらへ向かっている途中でエンジントラブルで車が動かなくなった、との一報が。結局どうすることも出来ずに残念ながらキャンセルとなってしまいました。やっぱり何らかのトラブルがあるな・・・と言っても出発前やんか。これから先が不安になってしまいます。出発予定の午後6時、まだ一人足りません。あらら、また出発が1時間くらい遅れるかな、と思っていたら元気よく飛び込んで来てくれ、何とか15分遅れで出発。ま、良しとするかってことでいざ出発です。今回は炊き出しやゲームの備品などがあったんですが、幸運にも2日着で仙台行きの荷物があったのでそれに積んで前日に出発しています。もう一人も1日の夜行バスで女川町に向かっており、総勢13名を乗せたマイクロバスは宮城を目指して出発しました。

このGW,すごく天気に恵まれていましたが、選りによって2日・3日という連休中日は全国的に天気が崩れ、どうも雨に祟られているメンバーがいるのでは?と勘繰りたくなります。せめてもの救いが今回は応援便始まって以来初めてのボランティア抜きの行程だったことと4日の午後には晴れるという予報でした。今回は「慰霊」と「交流」目的だったんです。雨の中で炊き出しやイベントなんて出来ませんからね。

さて、一行を乗せたバスは伊勢湾岸道・東名・新東名を順調に走り、東京ICには午前0時頃、更に首都高速を走りながら下の方しか見えないスカイツリーを眺めて常磐道へ。今回のエースドライバー内藤君の尽力で予定通りに守谷SAへ。ここでセカンドドライバーの豊増さんにバトンタッチ。常磐道の四倉PAでも時間通りに到着し、いよいよ自分の番になりました。

休養十分戴き、今まで足掛け7年慣れ親しんだ場所ですので少しでも色んな状況を見てもらいたいということもあり、当初からこのタイミングでハンドルを握るつもりでした。広野ICで高速を降り、国道6号線へ。道路沿いに積み上げられた黒いフレコンバッグが薄暗い中にもはっきりと見えます。すっかり様変わりした富岡駅の前へ行き、更に北上すると未だにバリケードが置かれ、主のいない家や商店が立ち並ぶ帰還困難区域へ。7年前からそのまま残されている家屋や草だらけの土地を目の当たりにし、誰一人言葉が発せない重い空気に包まれました。楢葉、飯館、浪江と誰しもが目や耳にした地名をみる度に原発の影響がいかに凄まじいものかを身に染みて感じたことと思います。

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南相馬の道の駅で小休止のあと、再び常磐道に入って一路仙台へ。仕事帰りによくお世話(?)になる仙台トラックステーションで先行していた当社ドライバーの伊藤君をピックアップ。再び高速に乗って、まず最初に訪れたのが松島。ここは予定に無かったんですが、初めて東北に来たメンバーも数人いたので日本三景の松島くらいは見に行こうという気持ちでしたが、時間も順調過ぎる位に早かったので、駐車場にバスを止め、瑞巌寺まで散策しようか、と思いきや遊覧船のスタッフ数名が丁重に出迎えてくれ、乗船を勧めてくれます。幸い、30分というコースがあったので期せずして松島湾巡りが出来ました。7年目にして初めての「観光」です。

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この時点でまだ午前8時。船を降りてから東松島の大曲浜へ。ここは「青い鯉のぼりプロジェクト」といって、津波で命を落とした子供さんが好きだった青い鯉のぼりを飾って慰霊しています。その数、今では600匹余りとのことですが、この日は雨に濡れて垂れ下がった鯉のぼりが寂しそうでした。

第46弾2

さて、次に一行が向かったのは石巻市。工業港を見て、お馴染みの「がんばろう石巻」の看板のある慰霊碑で黙祷し、今でもシートに覆われた門脇中学校を遠目に見ながら日和山公園へ。ここでは同行した谷さんが気を利かせてくれ、愛知県から出向し、現在石巻市役所に勤務されている加藤さんが待ち受けて下さいました。加藤さんは単身赴任ですが、石巻に住民票を移して市民ボランティアとしても活躍されています。眼下に広がる荒涼とした市街地を見ながら嵩上げ工事の状況など詳しいご説明を戴きました。このかつて市街地だった場所に公園が出来るそうですが、嵩上げに後2年ほど掛かるというお話を聞き、まだまだなんだなぁ、と痛感しました。

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次に向かったのがあの「大川小学校」です。個人的には昨年の11月にも訪れており、通算4度目になりますが、昨年見た犠牲になった教職員・生徒さんの名前が刻まれた慰霊碑が見当たらず、慰霊像と校門だけが移設されていました。丁度数日前に遺族と行政との裁判の審判が下った直後でもあり、かなりの訪問者がいらっしゃいましたが、天井が捲れたままの教室、ねじ曲がったままの渡り廊下などを誰しもが悲痛な面持ちでそれぞれの脳裏に焼き付けていたようです。時間が止まったままの遺構は7年経過しても当時のままの状況でした。ボランティアの人たちが花壇の手入れの真っ最中で、その傍らで一同献花をして黙祷を捧げました。(四日市とんてき協会さんから供え物として提供戴いた「とんてきソース」は、ご迷惑になるといけないので引き上げさせて戴きました。)

 

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裁判の結果が出たもののまだ行政側が控訴するようです。それに対しての感想は差し控えさせて戴きますが、ただ参加者全員がここで起こった事実を脳裏に刻み、自分たちが同じような災害に見舞われた時にこの教訓を生かすことが何よりの弔いになるんじゃないか、と思います。

最後に慰霊先に選んだのが南三陸町の旧防災庁舎でした。新しく繋がった三陸道を、と思ったんですが海岸に沿って国道398号線を北上、途中に新しく出来た道の駅(?)で休憩し、志津川町へ向かいます。ホテル観洋が近付くと、まだ避難所として使われていた時に物資を配布したこと、その近くの喫茶店で志津川湾の海水が引いて海底が見えるほどのビデオを見せて戴いたことなどが次々に思い出されます。当時は道路(45号線)も舗装が剥がれ、自衛隊が応急に設置した橋をトラックで恐る恐る走ったなぁ・・・

夜は真っ暗闇で、警備のパトカーの赤色灯だけが目立っていたなぁ・・・そんなことを想いながら志津川に到着すると嵩上げ工事で目指す防災庁舎が見えません。「あそこに結婚式場(廃業)があるから、その近くだったよな」、と記憶を辿りますが、何せ道路が全く以前と変わっています。それでも漸く防災庁舎を見つけて近づいたら現在は立ち入り禁止になっています。取り敢えずバスを停め、献花台で全員黙祷させて戴きました。たまたま居合わせた市の職員さんに話を聞くと、南三陸さんさん商店街が移転して、将来的には庁舎周辺も公園となり、商店街から橋を渡って行けるようになるそうです。しかし、それも2~3年先だとか。工事費用や人手の問題、それ以前に工事を請ける業者さんが不足していると嘆かれていました。来年のラグビーワールドカップ、再来年の東京オリンピックなど国を挙げての大型プロジェクトで建設業者の取り合いが起こっているとのことです。いずれにしても、町全体が消滅した、と言われた志津川町に新たな商業施設ができ、三陸道も繋がったので以前に比べて格段にアクセスは良くなりました。商店街も連休ということもあって名物の「きらきら丼」にはどの店も長蛇の列。我々もきらきら丼で昼ご飯!と意気込んでいたんですが敢え無く断念せざるを得ない活況ぶりでした。早く住民が戻って、元の生活・賑わいが帰って来ることを願って止みません。

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南三陸で約2時間ほど過ごし、初日最後の目的地、女川町へ向かいます。何と、ここまで全く予定通りにメニューを消化し、あまりにも順調過ぎて逆に不安になってしまいます。いつもハンドルを握ると条件反射のように眠くなったり寄り道したりという悪いクセが出るんですが、今回は全く眠気も無く、参加者全員の協力もあって本当に順調でした。三陸道の志津川ICから石巻女川ICまで高速移動し、女川町には16時着の予定が10数分早く着いたので土台から倒壊した女川交番の前で全員降車してもらい、そのまま新しく完成した商業施設「ハマテラス」を散策してもらい女川駅へバスを回送しました。ここで先行していた当社の高木君と合流。彼は現在当社に勤務しつつ「あすなろ応援便」に参加してくれていますが、それまでは四日市でボランティア活動をされている「防災一座」さんのメンバーとして活躍していました。防災一座さんは女川町にある熊野神社の例大祭の神輿の担ぎ手を募集して毎年GWに女川町へ訪問されており、四日市の聖歌隊(女子高)の生徒さんを引率して女川や石巻などへ訪問を続けておられます。高木君も当社に来てからも毎年熊野神社の例大祭応援のスタッフとして防災一座の松野代表から要請され、今回も5月1日の夜行バスで先行していて、本日「お役御免」となって我々に合流となったんです。松野代表に見送って戴き、これでメンバー15名が揃いました。

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全員合流して更に賑やかになったバスは三陸道・仙台東部道路を南下して岩沼市へ向かいます。今日の宿泊先は以前にもお世話になった岩沼リゾート(東京第一ホテル運営)です。以前宿泊した時は一泊朝食で安く泊まれたんですが、GW期間中は一泊2食付きのみの予約とのことでした。人数が多いので他に空室もなく、4月中旬に3部屋確保していたんです。ちょっと予算的には厳しかったですが、バイキング形式の夕・朝食には一同大満足。広いお風呂で長旅の疲れもしっかり癒されました。実は、ここに到着した時に思わぬサプライズがありました。仙台で介護タクシー業を営んでいる宇佐美さん、現地でのイベントで大変お世話になっている笑顔バスの山縣さん、同じくイベントにご協力戴いている鶴田さん、そしてメンバーの豊増さんのご友人が相次いで面会に来て下さいました。遠く離れていても、いつも応援して下さる方々の顔を見て、何故か「帰って来た」という気分になるから不思議なものです。豊増さんもご友人とは30年振りの再会とのことで、そのきっかけになれたのも嬉しいことです。わざわざ差し入れまで頂戴し、本当に有難うございました。宇佐美さん、山縣さんはお仕事の都合で残念でしたが、それ以外のお二人は翌日もご一緒して戴けるとのことでワクワクしながら床に就きました。

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2日目は少し雨も残っていますが、所々に青空も見え、何とか予報通りに晴れてくれることを願って午前8時半にホテルを出発しました。今日の午前中は今回のツアーのメインでもある閖上です。今まで亘理へは何度となく訪問していても閖上地区へは伺っていませんでした。以前、名取市の愛島東部仮設住宅で夏にイベントを開催した折りに窓口としてお世話になった長沼さんが閖上の語り部としてご活躍されていることをFacebookで知り、今回是非にとお願いして時間を作って戴いたんです。折角閖上に行くからには「閖上朝市」にも立ち寄ろう、ということで現地には9時過ぎに到着。土日祝日しか開催されていないという朝市会場には既に多くの買い物客が溢れ、牡蠣やホタテを焼く香ばしい匂いも漂って来ます。てっきり海産物だけかと思いきや、野菜・果物・肉・珍味など様々な物が売られています。しかも安い! 午後に予定しているバーベキューの食材もここで調達出来ました。川出さん、豊増さんの奥様、当社事務員の山本さんといった女性陣も楽しそうに店を見て回っていたようです。やはり活気のある朝市っていいですね。しばし買い物タイムを楽しんだあとは「日和山」の駐車場へ移動し、ここで長沼さんと合流。挨拶もそこそこに早速ガイドをして戴きました。すぐ近くに建てられた慰霊塔の先端の高さまで津波が来たことから始まり、被災当時の長沼さんやご家族の様子をお聞きしました。日和山の上に登って見渡せば新しく作られた復興住宅や工場、住宅地が見えますが、まだまだ土地整備の真っ只中。その後「閖上の記憶」へ場所を移し、VTRや写真を拝見しながら家ごと流されて自衛隊に救助されたこと、自家用車がかなり離れたところで見つかったこと、などなど当事者で無ければ表現出来ない貴重なお話を伺いました。その中で我々が一番気になった言葉・・・。「自宅が再建出来たからと言っても、復興したとは言えない。今目の前にある景色、閖上の町は震災前のものじゃ無いんだ。頑張ろう、と言われてもこれ以上頑張りようがないし、あれほど日本中が絆って言葉を出していても7年も経てばそれも薄らいでいることを痛感する。自分たちにとっては絆よりも『つながり』が大事だと思っている。だから、また来て欲しい。子供や孫の代になってもここへ来て、貴方たちが語り継いでくれることを実際に見て欲しい」 間違っているかもしれませんが、そのような言葉を発せられたと思います。新しく町が作られ、そこに住宅や商業施設が出来ても、それが「復興」とは言えないということを改めて教えられたんです。この地から避難し、そのまま戻らなくなった人もいます。新居が出来ても二重ローンや新たな負債を抱える人がいます。復興住宅に入っても隣近所は知らない人ばかりで孤独感が増幅する・・・。長沼さんの言葉は一つ一つがすごく重いものでした。恐らく参加者全員がその言葉に各自向き合い、どうすることで現地の方々と「繋がれる」のかを考える最高の機会を与えて戴きました。ご無理をお願いして本当に良かったと思います。長沼さん、貴重なお話、本当に有難うございました。

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日和山日和山裏側長沼さん

寄り添い閖上またきてね

記憶

長沼さんと又の再訪をお約束して閖上を後にし、今回最後の訪問先である亘理町の斉藤農園さんへ。

ご存知の方も大勢いらっしゃいますが、斎藤農園さんとは震災直後の7月からのお付き合いで、今では自分にとって宮城の親戚と言っても過言ではないお付き合いが続いています。津波で水没してしまった農機を伊藤君が鈴鹿まで持ち帰り、豊増さん・池添さんという「エンジニア」がボランティアで修理し、それを使って震災後4年目にしてイチゴ栽培が復活した、というあすなろ応援便の活動とは一番ご縁のあるところです。毎月のようにお邪魔しては庭先をお借りして近隣の皆さんへの物資配布でお世話になり、その都度ご家族揃っての手厚いおもてなしにお邪魔したことのある者は「また行きたい!」という、我々にとっては唯一オアシス的な存在でした。今日は2年振りに大人数で訪問し、みんなでバーベキューを、というのが今回ノツアーの発端でした。長沼さんも言われていた通り、年月が過ぎると徐々に震災のことも風化してしまい、訪問する人もめっきり減ってしまって寂しくなった、という話をあちらこちらで耳にします。それでも何度となくお会いしたり、親しくして戴いた方たちに会いに行きたいという気持ちは変わらず、「ボランティアで」とか、「支援物資のお届け」ということ以外で「繋がっている」から訪問したくなるんでしょうね。

斎藤農園さんに到着すると、待ってました!とばかりに次女のかなちゃんとその友達が駆け寄ってくれました。後ろからご両親たちがにこやかな笑顔で迎えてくれます。本当に「ただいま!」っていう感じなんです。今回参加出来なかった中西先生などは実家と呼ぶほど親しくなっており、一緒に訪問したメンバーが直接お邪魔したり、イチゴを注文してくれたりと何らかの形で繋がっていることが何よりの喜びです。

ホテルに停めさせて戴いていた大型車も到着し、積荷を卸していつも通りイベント会場の設営開始!今回は子供さんたちが大勢来てくれると伺っていたので、活動の定番メニューのゲームコーナーやバーベキューの準備を開始。やはり経験者揃いですので1時間ほどで設営完了。今回はバーベキューと言っても特別に四日市とんてき協会さんのご厚意で、本格的な「とんてき」を振る舞います。以前にもレトルトのとんてきは何度も提供したんですが、その味が忘れられない、と言ってくれた子供さんのためにご無理をお願いしました。他にも焼きハマグリや閖上朝市で仕入れたバーベキュー食材、お母さん達手作りの稲荷寿司やおにぎり、総菜と何とも豪勢な食事となりました。はるばる福井県から駆けつけてくれた平木さん親子も加わって、あとはソフトボールの試合帰りの長女しんちゃんと長男オー君たちの到着を待つのみです。開宴(?)に先立って、お父さんからイチゴのハウスへ案内して戴き、全員が楽しみにしていた「イチゴ狩り」のスタートです。わざわざ我々のためにと収穫せずに残しておいてもらった畝にはたくさんの真っ赤なイチゴが付いています。時期的にあまり数が出来なくて実も小さい、とは事前に聞いていたんですがとんでもない! 立派な大粒のイチゴもたくさんあり、各自思い思いに摘み取っては口に運ぶ、という至福の一時を過ごさせて戴きました。「いつかは皆でイチゴ狩りに来ます」と言っていたことが実現した瞬間でした。今回、事前にお願いしてイチゴを冷凍してもらっていました。イチゴだけでかき氷作ったら絶対美味しいだろうな、という単純な発想だったんですが、最近はそういうスイーツを提供する店も増えていたんですね。しかし!ここのイチゴは練乳なんか使わなくても十分甘いんです。しこたま新鮮なイチゴをお腹一杯に詰め込んでも更に食べられ、恐らく生涯でこの日ほどイチゴを堪能したことは無かったでしょう。

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しばし歓談しながら食事を始めていると賑やかな声が聞こえてきました。試合の終わったしんちゃんたち女子中学生グループが到着、程無くしておー君たち小学生ボーイズの到着です。伊藤君・平田君といった馴染の顔を見つけると一気に時間が遡って嬌声が響きます。暫く見ないうちにすっかり大きくなった子供たちにとっても過去に一緒に遊んでくれたオジサンのことを覚えてくれてるんですね。どこへ行っても子供たちに人気の伊藤君、今回もお笑い芸人の○○○に似てる!と大モテ(?)でした。

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ゲームの方も結構もりあがりましたが、今回は更に工作コーナーも設置しました。工作といっても、素焼きの「蚊遣り豚」に飾り付けすることと、アロマキャンドル作りといった単純なものなんですが、実はPRも兼ねていたんです。

四日市の地場産品で萬古焼(ばんこやき)があり、土鍋は国内シェアの70%とも言われ、急須と共に有名です。あまり知られていないんですが、実はこの「蚊遣り豚」も有名で、あすなろ応援便のイベントでも持ち込んだことがありました。実は、今回同行して戴いた四日市とんてき協会のマスコットキャラクター「テキブー」はこの蚊遣り豚をモチーフにしています。夏の風物詩でもあり、これから蚊が出始めたら実用できること、蚊遣り豚を見たら四日市を、そして我々のことを思い出してほしいという願いでもありました。本来ならば蚊取り線香を入れて使うものなんですが、ロウソクを灯してインテリアとしても転用出来るのでアロマキャンドルとセットにしてみたんです。流石に女の子、一生懸命に飾り付け、キャンドル作りにも夢中になってくれました。

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楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、一泊四日(車中二泊)の東北ツアーも終了の時間となりました。みんなで片付けをし、大量に出たゴミも川出さんのご厚意で処分して戴くことになり持ち帰り。我々が46回の東北訪問で「現地に極力迷惑を掛けない」ことに理解して戴いてのことです。配布会の時も空になった大量のダンボールを持ち帰ったこともありましたね。立つ鳥後を濁さず、そうすることでお互いに気持ちよく、また次回も、ということに繋がるんだと思います。いつも言っている通り、我々は支援する側として訪問するのではなく、現地の方たちと一緒に食べ、笑い、同じ時間を共有することだけは大切にしてきたつもりです。瓦礫撤去や泥出しといった直接的な応援は出来ませんでしたが、一緒にいる時間だけでも楽しく過ごして戴き、自分たちも楽しませて戴いています。だからこそあすなろ応援便が今日まで長く活動出来ているんだと思うんです。長沼さんの言われた、「絆より繫がり」。この言葉の重さ・深さを改めて噛みしめ、本当に意義のある2日間を過ごせたことに現地で迎えて戴いた皆さん、そして参加して戴いた皆さんに心から感謝申し上げ、第46弾の活動報告とさせて戴きます。長文・乱文になりました事、この場を借りてお詫び申し上げます。写真にもそれぞれコメントを入れるべきところですが、どうか文章の流れから雰囲気だけでもお汲み取り下さい。最後までお読み戴き、誠に有難うございました。今後とも「あすなろ応援便」を宜しくお願い申し上げます。

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あすなろ応援便関係者の皆様へ

大変長らくご無沙汰しておりました。4月のイベントの報告以来ですから、ほぼ4ヶ月空けてしまいました。この間、何も活動していなかったのか、と思われるかもしれませんが、地元のイベント等にゲームコーナーなどで参加し、チャリティ―活動を展開したり、7月には佐賀県伊万里市で開催された防災講演会にお招き戴いたりと、微々たる活動ではありますが継続しておりますことを先ず以ってご報告致します。

この間、熊本の大震災、台風による洪水被害と大きな災害も続き、中でも台風10号はあすなろにとっても縁のある岩手県大船渡市に上陸し、岩手県北部や北海道ではかなりの被害がでております。やはり過去の災害を教訓としていかに平時に備えをしておくか、避難訓練を重ねておくかの重要性を改めて思い知らされています。

 

さて、今回はあすなろ応援便に関わって戴いているスタッフの皆さん、物資や協力金のご支援を戴いた全国の皆さん、そしてあすなろを受け入れて戴いた現地の皆さんにご報告があります。

 

実は、昨日(9月7日)に東京の霞が関へ行って参りました。用件は「平成28年 防災功労者防災担当大臣表彰」の授賞式に出席するためでした。これには「災害時の防災活動」、「防災体制の整備」、「防災思想の普及」の各項目にそれぞれ大きな功績・貢献のあった個人と団体が表彰されます。今回、「あすなろ応援便」は「災害時の防災活動」の団体表彰を戴きました。

当初、四日市消防本部のMさんから推薦する、という話を昨年にも戴いておりました。残念ながら昨年は推薦から漏れたようですが、チーム四日市(四日市のボランティアグループの集まり)のメンバーでもあるMさんが何故か熱心に応援して下さり、今年も再度申請を出して戴いたようです。

8月下旬に「推薦が通ったので9月7日の表彰式に出席の予定をして下さい。但し、絶対にまだ口外しないように!」と電話を戴き、素直なボクは今日まで貝のように口を閉ざしていました。事後報告で申し訳ありません。

正直、受賞出来ること自体が不思議でした。ご存知の通り、あすなろの活動は全国のご支援者様から物資を募集し、まとまったら参加者を募って現地へ行きます。現地で何をしたかと言えばイベントで子供たちと一緒にはしゃぎ回ったり、物資をこれでもか、と並べては住民の皆さんと話しをしたりコスプレ(?)して笑いを取ったり、振舞い(炊き出し)すれば真っ先に「味見」と称して住民の皆さんより先にパクついたり・・・。そんなボランティアグループですから、他の受賞者がされているような瓦礫撤去や泥出しといった力仕事も避難路の整備やハザードマップの作成、防災体制の確立などは一切していません。その旨を知人に打ち明けたら、「まず5年以上継続していること。行政の手が行き届かない所へ行っていること、精神的に辛い思いをしている子供や高齢者に楽しみを作ったこと。一番良かったのは現地の人たちと繋がって、現地の要望に添った活動をして、現地の状況をこちらへ報告してくれたこと。だから有難く戴いたらいいじゃないか。活動始めてから誹謗中傷されたり、嫌なことがあっても現地のために続けてきたんだろ?胸を張って行って来なさい!」と電話で諭され、表彰式に臨んだ次第です。

恐らくインターネットで検索すれば受賞者・受賞団体の一覧と活動内容が載っていると思います。今回は全国から10個人・11団体が表彰されましたが、嬉しいことに地元三重県からは四日市大学の「四日市東日本大震災支援の会」さんと万協製薬株式会社さん(防災思想の普及)の3団体が表彰されました。

式典当日は防災担当の松本純大臣から一人ずつ手渡しされ、その後記念写真撮影をして僅か45分でしたが大臣・副大臣も同席で「懇談会」が催されました。一人1分程度で全員が発言させて戴きましたが、この短い時間で何を話せるのか考えあぐねましたが、受賞のお礼と、「この賞は自分にではなく、関わって戴いた皆さんに戴いたものだという認識です。帰ってその旨を報告書でお伝えしたい」というような内容を話させて戴いたように記憶しています。

いい格好すんな、とお叱りを受けるでしょうが、本当にこの賞はあすなろ応援便を支えて戴いている皆さんへの表彰であり、皆さんお一人お一人のご尽力・ご協力が無ければ戴けないものであることは明白です。たまたま代表者となっている私が皆さんの代わりに受け取ってきたものです。改めて、皆さんお一人お一人に御礼申し上げます。

 

 あすなろ応援便の活動にご理解・ご協力を戴き、誠に有難うございます。

 この度は「防災功労者防災担当大臣表彰」の受賞、おめでとうございます。

 心からお祝いを申し上げますと共に、今後も引き続き「あすなろ応援便」を

  何卒宜しくお願い申し上げます。

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あすなろ応援便 番外編

東北での活動ではありませんが、4月2日(土)に四日市で既報の震災関連イベントを行いましたので、この場を借りて遅まきながらご報告申し上げます。

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そもそも本来ならば3月に地元のイベントに東北応援コーナーとして参加する予定でした。その頃には第43弾が決まっていたので募金を集めたりもするつもりだったんですが、何せ震災から5年という節目の年で、何かあすなろとしても区切りになる行事をしたいと考えていました。とにかく当地では徐々に震災が風化しつつあることが否めません。5年を節目にもう一度思い返してもらいたい、そしていずれ起こるであろう南海トラフの大地震に対しての防災・減災意識を喚起することも重要だと思いました。と同時に、5年間の自分たちの活動を振り返ってみて何が残ったんだろう、と思い起こせば「人と人との繫がり」でした。物資募集を呼び掛けた頃、全く見ず知らずの方々からご協力戴き、その後実際にお会いした方も大勢いらっしゃいます。その中から現地の方を紹介して戴いて親しくなったり、他のボランティア団体の方たちと交流出来たり。いつも書いているように、震災は大きな被害をもたらしましたが、それがきっかけで自分としてはかけがえのない「人と人とのご縁」を戴きました。このことを何とか地元の皆さんにも知ってもらいたい、という想いから活動を通じて知り合った「仲間」に集まってもらい、それぞれの立場で想いを伝えてもらおう、そのためには単独でイベントを打たなければ思い通りに出来ない、というのが発端でした。そんな訳で、偶然会場が空いていた4月2日に決定した次第ですが、私の悪いクセで、思い付きで動いてしまったんです。毎年4月の第1土・日は「エキサイトバザール四日市」が開催され、これには毎年「東北応援ブース」を準備して戴いています。主に東北の物品販売やチャリティーゲームなどで出店しているんですが、会場予約をしてからそのことに気づき、相方と主催者には事情を話して土曜日は欠席させて戴きました。相方T氏が孤軍奮闘でビン玉ストラップや高田の昆布やワカメなどを販売して面目を保ってくれたのが何よりでした。

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さてイベントですが、メインタイトルを「震災で繋がった絆 ~ 東北からのメッセージ」にしました。やはりこの手のイベント(講演会)には現地の被災体験者の話は欠かせない、という気持ちと先に述べた「繫がり」をアピールしたかったからです。タイトルが決まると例によって「あれもしたい、これも取り入れたい」と次々に願望が溢れ出します。何せ、「あすなろ応援便」はNPOでも社団法人でもなく、あくまで「個人ボランティア」の集まりで、知名度も後援組織も皆無です。そんな弱小団体が「主催」するんですから、まずはあすなろのPRをしなきゃ、それなら現地でどんなことをしているかも知ってもらいたいし、募金もお願いしたい。少しでもハクが付くように後援も然るべき所から取り付けたい、講演会だけじゃもったいないからチャリティーコンサートも入れたい・・・そんな調子です。地元の知人に声を掛け、形だけの打ち合わせ会議をやりましたが、やはり持つべきものは有力な協力者で、たった1回集まっただけで後援の取り付け、招待する来賓、講演会の内容など主だったものはそれぞれ割り振りが決まり、あとはそれに従って粛々と準備をするだけになりました。会場も200人ほど収容出来る立派な場所ですので、吊り下げ看板も必要だよな、と改めて「やっちまった・・・」と後悔はするものの、もうカウントダウンは始まっています。早速イベントの告知をフェイスブック(以下 FB)で呼び掛け、参加者の反応を日々見るも今ひとつ。何せ、春休みでもあり、当日はエキサイトバザールをはじめ、各種イベントがあちらこちらで開催されています。ただ、参加者の多い少ないよりは自分たちの5年間の活動の区切りと、来場者に防災意識を高めてもらうことが目的なんだと開き直り、チラシを作ったり電話で呼び掛けたりで地道に集客を進めることにしました。

そんな中、FBを見てご連絡戴いたのが新潟県村上市の鈴木さんでした。話せば長くなるんですが、3年前に一度ご縁があったきり、一度も直接お会いしたことも無いんですが、「何か協力することがあれば」という有難いお申し出でした。鈴木さんは「いわふね看板舎」という会社を経営されています。文字通り「看板」のプロですから、厚かましい私は何の躊躇することなく、ステージ用の横断幕をお願いさせて戴きました。(それも3枚!) 僅か数日後、丁寧に梱包された小包を開けると想像以上に見栄えのするものが出てきました。こちらからはタイトルをお伝えしただけで、デザイン等は全て鈴木社長にお任せだったんですが、自分がイメージしていたもの以上の横断幕を無償でご提供戴きました。改めてこの場で心より御礼申し上げる次第です。

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イベント終了後になって、メインタイトルの横断幕をお願いすることを忘れていたというオチがあったのはここだけの話です。(#^^#)

 

横断幕3枚・・・今回のイベントは3部構成にしました。

第1部は「体験者が語る あの日、あの時」 これは釜石市から佐々木勇人君、四日市大学の学生で宮城県東松島市出身の北村君、四日市消防職員協議会会長の増田さんにパネラーとして登壇して戴き、発災時の様子を本人の体験から話してもらい、消防の立場からもコメントを戴くという趣旨でした。この手の話は1時間や2時間の持ち時間があっても語り尽すことは到底不可能です。来場者も長時間の講演を聴くのも辛いかな、という考えからパネルディスカッションに変更しました。コーディネーターをどうするか、という問題もありましたが、最終的には自分が「聞き手」として進行させて戴くことにしました。佐々木君・北村君の話は過去にも聴いており、彼らが伝えたい事はある程度解っていたつもりでしたし、「こう振ればこう答えてくれるだろう」という、何とも迷惑な安心感もありました。

やはり体験者の話というのは切羽詰まったものもあり、来場者も真剣に耳を傾けてくれていたと思います。こちらも聞きながら活動を始めた頃の現地の状況や住民の話などが思い返され、あらためて平常時からの防災対策の必要性を感じたものでした。機会があれば、是非ともこのような会場に足を運んで戴ければ、と思います。

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第2部は、鳥取県米子市から新宮さんをお招きして「はるかのひまわり」に関する講演をして戴きました。ご存知の方も多いと思いますが、この話は「阪神大震災」に遡ります。神戸の自宅で家屋の下敷きで犠牲になった「はるかちゃん」。その遺体が発見された場所にヒマワリが咲き、ご家族や仲間、地域の皆さんがそのヒマワリから採れた種を配ってはるかちゃんのこと、震災があったことを語り継いでいこうと始まったのがきっかけです。聞き及びですので間違っていたらごめんなさい。その種がいつしか「復興のシンボル」になり、東日本大震災があった年、復興の応援として三陸に送られました。新宮さんはボランティアで行った南三陸の仮設住宅でこのヒマワリを見てその経緯に感動したそうです。当時、PTA役員や県PTA連盟などの要職に就いていたこともあり、米子でもはるかのひまわりを育てようと、三陸から戻ってすぐに神戸からひまわりの種を取り寄せて活動を始め、地元は勿論、今では全国にその輪を広げています。今回も来場者にと500袋の種をお持ちいただきました。この話に共感して戴き、災害を「教訓」として代々受け継がれていくことを願ってご多忙の中お呼びしたんです。先程の鈴木社長とのご縁も、3年前に彼女の主宰する「富士夢☆米子隊」が鳥取県の大山で復興支援コンサートを開催したことがきっかけでした。名古屋の行事に駆け付けて熱く事業内容を説明する姿に打たれて、ステージ用にとトラックを出したことが彼女とのご縁であり、そこから横断幕を依頼した鈴木社長をご紹介戴き、今回のイベントに繋がっています。

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冒頭にも触れましたが、こんな形で様々な人と出会い、そこからまた新たな繫がりが広がりました。それぞれが境遇も職種も違います。ただ「被災地に想いを寄せる」という目的が同じだけで驚くようなスピードで人と人が繋がっていきました。よく活動報告書にも登場(?)してくれる佐々木君とのご縁も、当時は全く面識のない方からの1通のメールからでした。2011年の10月、釜石での配布会の窓口になって戴いたのがきっかけで、その後は釜石近辺でのイベント毎に協力して戴き、四日市にも毎年来てくれています。新宮さんとも知り合いで、昨年5月以来のご対面となりました。今回、事前に来場してくれるという連絡を戴いていた名古屋の大岩さん、岐阜の谷さん、横浜の小林さん、伊勢の遠藤さん・・・思いがけない顔ぶれに、さながら「同窓会」じゃないか、という温かな雰囲気に包まれ、それだけでも開催してよかったな、というのが率直な感想です。福井からも平木親子が駆けつけてくれたり、地元の方もお手伝いにきてくれたりで、皆さんには心から感謝申し上げます。何より嬉しかったのは偶然(?)大阪へ来ていた陸前高田の3人がサプライズ登場した時には柄にもなく涙腺崩壊。夕方には神奈川に行かなければならない、という過密なスケジュールの中に立ち寄って戴いたことにはただただ恐縮した次第です。やはりこうして感動と元気をもらっているからこそ活動が続けられるんだな、仲間って有難いな、とひしひし感じました。

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さて、第3部は大船渡出身のシンガーソングライター、濱守栄子さんのトーク&ライブを開催しました。彼女は昨年10月に菰野町のアクアイグニス、四日市大学の大学祭にお呼びしたので今回が2度目の来四です。前回の失敗を踏まえ、今回は音響とMCをどうするかが課題でした。岩手の文化大使や三陸大船渡ふるさと大使でもある彼女に相応しいMCは・・・と思っていたら、四日市消防の水野さんが仲介してくれ、四日市観光大使を務める「マック中原」さんが協力してくれることになったんです。あの嘉門達夫氏に師事し、「Mack Style」というバンド活動の傍ら専門学校での講師、司会、ものまね、パーソナリティーと幅広く活動されていて、地元でも有名人です。あすなろの活動も知ってくれており、今回は音響スタッフも含めて完全ノーギャラという条件を呑んでのご協力でした。

当然濱守さんとは当日初対面であったんですが、震災当時の話や音楽活動に関して軽妙なトークで盛り上げてくれました。マックさんも毎年エキサイトバザールのメインステージで司会進行とステージを務めていたんですが、偶然今年は日曜日だけだったので、この日の参加が叶いました。こんな運に恵まれるのも「あすなろ」の特徴かも? とにかく約1時間ほどのライブも無事に終わりました。

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第1部から第3部まで終えた後は来場者への「お楽しみ抽選会」を企画しました。前々週に岩手へ行った時に手作り小物やお菓子などを買って来て、それを賞品にしたんですが、ステージに引き続きマックさんと濱守さんに司会進行を、抽選役に佐々木君に協力してもらったんですが、もう一人会場を盛り上げてくれたのが、手伝いに来てくれたお母さんに付いてきた「たろう君」でした。物資の皿洗いも手伝ってくれた可愛い男の子で、この子から賞品を渡された来場者もニコニコ顔でした。

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そしてもう一つ。当日は子供さんもいるだろうと、いつも東北でやっている「ゲームコーナー」も開設しました。あすなろの活動を知ってもらう一環として行ったものですが、どこへ行っても子供さんの笑顔は何より輝いています。見ているだけでこちらも笑顔になれるし、「今度はどこでやるの~?」と聞かれれば喜んでくれたんだな、って嬉しくなります。単純ですよね。

また機会があれば同じような防災・減災に絡めた行事も行いたいと思っています。奇しくも、このイベントが終わって10日ほどして、あの熊本の大震災が発生しました。来場者から「あの時に話を聞いて、いつ自分が被災するかわからんね。その時に慌てないようにしとかんと」と言われましたが、改めて平常時だからこそ防災・減災への取り組みが必要なんだと思いました。実際に、大災害が発生した時に平常心でいられる人は20%程度という統計があるそうです。この会場でも市の危機管理室が作成したマニュアルをお配りしましたが、恐らくマニュアルや「防災訓練」通りには動けないと思います。佐々木君が必ず話す「津波てんでんこ」。先ずは自分の命を最優先にして「生き延びる」ことを訴えています。東北でも津波の第一波と第二波の間に少し時間が空きました。取り残された人がいないか、自宅はどうなったかを見に戻った為に第二波に流されて犠牲になった方が相当数いらっしゃいました。津波警報が解除されるまでは絶対に海岸に近寄らない、個々が真っ先に高台へ逃げればいつかは再会できるから、ということを説いています。そう考えれば近所にどのような人がいるのか、避難時に介助が必要かどうか、どこへ避難するのか・・・と枚挙に暇がありません。それを考えるのは平常時でなければ出来ないんです。今は隣に何人住んでいるのかさえ知らないという世帯が増えています。近所付き合いも、地域の行事も参加者が減り、段々と「地域の繫がり」が無くなって来ています。自分に置き換えても考えさせられるもので、自治体で行うドブ掃除からでも積極的に参加してお互い顔見知りになっていざという時に助け合える環境にしていかなくちゃ、という想いを新たにしました。

最後になりましたが、このイベントにご協力戴いた皆様、ご来場戴いた皆様、本当にありがとうございました。

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第43弾 活動報告

5月も半ばを過ぎ、新緑というよりはもう初夏の陽気を感じる今日この頃です。3月の連休に東北へ行き、4月の初旬に四日市で防災に関するイベントを開催し、その後ずるずると時間だけが経ってしまいました。その間、4月に熊本で地震が発生し、大きな被害が出ております。被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げますと共に、犠牲となられた方には心よりお悔やみ申し上げます。

そんな言い訳で申し訳ありませんが、遅れ馳せ乍ら第43弾の活動報告をさせて戴きます。

活動したのは3月19日(土)と20日(日)の2日間。今回は以前よりお世話になっている廣田さんに窓口となって戴き、岩手県下閉伊郡の山田町の仮設住宅3ヶ所へお邪魔しました。事前に希望される物資を伺っていたので、このHPでも物資募集の呼び掛けをさせて戴いたんですが、何せ事前に伺っていた世帯数は3ヶ所で約400世帯。当然消耗品などは不公平にならないようにそれなりの数量が必要となります。正直なところ十分な数量確保は難しいと思っていたんですが、あすなろ関係者をはじめ、従来よりご協力戴いている皆さんに加え、岩手の村田さん、米子の新宮さんたちががFBなどで呼び掛けて下さったお陰で想像を遥かに超える物資が集まりました。何せ、久し振りに大型車2台満載の物量となり、その中身も消耗品、食品、家具や日用雑貨など多種多様。佐賀県からは薬膳茶、大阪からはカップ麺1,000食、福井からは新品の卓球台と個人的にご協力戴いたものもあり、改めてご提供戴いた皆様の熱い想いに感謝、感謝しかありませんでした。

5年が経過し、物資の配布会という「無償提供」には賛否両論あることは重々承知しています。整地も進み、店舗も増え、場所によってはすっかり普通の生活が送れるようなインフラも進んでいます。しかし、一方ではまだ仮設暮らしから脱却出来ずに不自由な日々を過ごしている方々も少なくありません。今回お邪魔した山田町も5年前に比べて大きく変化していました。ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが、「鯨博物館」の前は瓦礫の集積場となっており、被災した老人福祉施設の屋根の上にはポルシェと船が乗っかっていました。震災後に入ったボランティアグループが多額の横領事件を起こしたりという不幸も重なり、いつしか一般のボランティアが受け入れられないような状況があったと伺いました。そこから大きなスーパーがある場所までは車で数十分という不便な場所で、残っている住民もやはり高齢者が多かったです。日々の買い出しすら思うように出来ないこと、生活も未だ先行きが見えずに不安な毎日を過ごしていることなどを伺い、今回の活動に至ったことをご理解下さい。

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我々の活動は、現地の方のご協力無しには成り立ちません。今回も左上のようなチラシを3ヶ所分作って呼び掛けて戴きました。配布会だけでなく、住民の皆さんに喜んで戴ける企画も出来ました。何せ、参加メンバーには捜索犬のトレーナー、アニマルセラピスト、看護師、DJ、県防災会議のスタッフと様々で岩手・秋田・仙台・栃木・石川から現地へ来て会場を盛り上げて戴きました。スタッフだけでも20人以上はいたと思います。(名前さえ聞けなかった方も多数いらっしゃったので・・・) 初めて開催したアニマルセラピーは自分が一番癒されたんじゃないかと思うくらい、しっかり訓練された捜索犬と国内で唯一のセラピーキャットは本当に可愛かったです。

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さて、最初は「浦ノ浜仮設住宅]。高台からは海が見え、鯨博物館も見えます。到着時は人影も少なかったんですが、徐々に住民の皆さんが集まってくれました。釜石から駄菓子屋さんもご家族で駆けつけてくれ、早速準備開始。トラックには3ヶ所分の物資をある程度積み分けているんですが、その場に合わせて卸すもの・卸さないものを選びながらですからさぞかしヤキモキされたでしょうね。アニマルセラピー、石鹸デコ、炊き出しやゲームなど次々に準備が出来たものから楽しんで戴きます。子供さんが少ないのでトランポリンなどゲームは少々しか出せませんでしたが、無邪気な笑顔に安堵しました。

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ここでは2時間少々の滞在で、後ろ髪を引かれつつも物資やゲーム関連を撤収、次の会場に向かいます。近くにあった「かき小屋」には何台もの車が停まっており、美味しいと評判の「山田の牡蠣」を堪能されてるんでしょうね。足掛け5年、いまだに口にすることが出来ず、今回も涙を呑んで見送ることになりました。

さて、一行が到着したのは「猿神仮設住宅」。少し山の中へ入った場所でしたが、すぐ近くには熊が出没するという「警戒区域」だそうです。大型車が道路を塞ぐように入って行くと住民さんがわざわざ路肩に車を寄せてくれます。窓越しにお礼を言うと「すぐに帰って来るから待っててよー!」と嬉しい返事。今日の配布会を楽しみにされていたそうで、後から聞けばお孫さんを迎えに行かれるところでした。

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ここの仮設住宅もかなり転出されたそうですが、それでもまだ数十世帯が残っています。準備の前からたくさんの方が出迎えてくれ、わいわいと喋りながらの荷卸しは何より楽しい時間です。誰が言うでもなく、スタッフは勿論、住民の方も荷卸しを手伝って下さり、準備はあっという間に完了しました。

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先にも述べた通り、今回は看護師さんに健康相談もして戴きました。なかなか身体を動かす機会がないということで、物資の中にあった健康器具も大好評で、卓球台もこちらで活用して戴くことになりました。熊本地震でも再三報道されているように、狭い避難所や仮設住宅ではエコノミー症候群を患う方が多いです。少しでも身体を動かすことの必要性が言われますが、やはり高齢になると億劫だから余り運動しないんだよね、という話も聞きました。今後は定期的に卓球大会や囲碁・将棋など、みんなで集まって身体や指先を動かしたりする機会を増やしていきたい、と廣田さんご夫妻もおっしゃってました。いずれ、卓球を楽しまれている様子をお伝え戴けることを楽しみにしています。

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これまであすなろ応援便の宿泊先はキャンプ場などリーズナブルな所が主で、時には車中泊、またある時は個人宅でご厄介になったこともありました。今回は廣田さんのお取り計らいで、あの「宝来館」に泊めて戴くことになりました。腰まで津波を被り乍らも宿泊客を全員無事に裏山へ避難させたという女将さんがいらっしゃる、立派な観光旅館です。露天風呂もある温泉、心温まる料理、そして女将さんの震災体験のお話し。近くではラグビーワールドカップの会場の建設も進んでいます。

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部屋は男女別の大部屋でしたが、ボランティアの話や仕事の話、世間話と話題が尽きることも無く、おそらく5年間で唯一「旅行気分」になったのかもしれません。朝食後に伺った女将さんの話は意義あるものでしたが、それ以上に辛い想いになりかねない「海」と共に生きて行くんだ、という強く熱い想いをしっかり聴かせて戴きました。偶然にもこの地区のモデルとなったのが三重県にある「合歓の郷」だと知りました。海辺に作られたヤマハのリゾート施設なんですが、ホテル、ゴルフ場、温泉、マリンレジャーと自然を取り入れたことに着目し、この地域もそうなるべくこれまで歩んで来られたそうです。宝来館さんでも定期的にコンサートを企画したり、少しでもたくさんのお客さんに来て戴きたいと日夜尽力されています。お見送りの時に大漁旗を大きく振り回す女将さんの姿に元気付けられて宝来館を後にしました。

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今日は大浦仮設漁協センターで半日過ごします。トラックに残っている物資を全て卸し、ゲームコーナーも全てオープン。前日から応援に来て戴いている気仙沼FMのDJパルさん率いる若いボランティアさんが焼き鳥や綿菓子、ゲームコーナーなどを手伝ってくれ、活気溢れる会場となりました。

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3ヶ所目となるこの大浦では子供さんも多いと聞いていたんですが、どこにいるのかな~と探していると・・・体育館の中から我々の準備の様子を見つめてくれています。なんやら一杯積んでるけど、ボクたちのモノもあるのかな~、という感じです。あるよあるよ、君たちの為にゲームも持ってきたし、綿菓子もあるし、釜石の駄菓子屋さんからのお菓子も一杯あるよ!

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配布会も品定めに余念のないお母さんたちが楽しそうに見てくれています。手の空いているスタッフが話しかけながら一緒に希望の品物を探したり、重たいものや大きな家具などを住居までお届けサービスと、それぞれが自分なりに考えて動いてくれています。損得抜きで、ただただ「ありがとう」って笑顔で言って貰えることが嬉しいんです。全国のたくさんの皆さんからご協力戴き、現地の窓口となって受け入れ準備をして戴いた方があり、それを喜んでくれる住民の皆さんがいることが全ての原動力なんです。もちろん、全てOKだった訳でもなく、反省すべき点も多々ありました。パンケーキに使う牛乳も忘れたし、どこに何を仕舞ってあるか忘れたり、相変わらずのドタバタもありました。それでも誰も文句を言わず無事に3会場での活動を終えられたのはひとえに携わって戴いた皆さんのお陰でした。この場を借りて改めて心より御礼申し上げます。

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あすなろ応援便の活動には、表に出ない協力者が大勢いらっしゃいます。前列の女性が持っている箱の中身は佐賀県のNさんから送って戴いた手作りのクッキーやカップケーキがぎっしり詰まっています。昨年の釜石のイベントにも直接現地へロールケーキを送って戴いており、味は言うまでもありませんが、それ以上に心の籠ったプレゼントに感激しています。また配布会やイベントでは必ず空いたダンボールなどが大量に出ます。その会場で必要であったりする場合を除いてゴミと一緒に持ち帰るのが常なんですが、今回は栃木県から岩手県北上市まで資源回収に来られていたTさんが2日間行動を共にして戴き、たくさんのダンボールを軽トラに積んで引き取って下さいました。Tさんは「こども未来文庫」という活動に共感し、資源回収の為に軽トラックを買ってダンボールや鉄屑などの資源を回収し、その販売金額を全額子供たちのために宛がわれています。この売上金で絵本や紙芝居を買って保育所や幼稚園にプレゼントしたり、卒園する児童にクオカードをプレゼントしたりされています。我々が持ち帰れば単なるゴミにしかなりませんが、こうして別の形で有効利用されるのは何よりです。5年経って、ボランティア活動を続けている団体同志が自然に繋がったりご縁を戴いたりでより中身の濃い活動が出来るようになってきました。この活動の後、ひと月も経たないうちに熊本で震災が発生しました。すぐに現地へ向かった仲間もいますし、現地へ行かないまでもそれぞれの出来る範囲での応援をしています。いずれあすなろ応援便も熊本へ伺う機会があるかもしれませんが、そんな時にボランティア仲間からの情報や要請が必要であり、本当に必要とされる場所へ飛び込めるんだと思います。国内外を問わず、これだけ自然災害が勃発している今日では、いつ立場が変わって自分たちが「被災者」になるか予断を許しません。大きな被害が過去の出来事として風化していくのでは無く、逆らえない自然災害に遭遇した時にちゃんと「教訓」として活用できるかが問われているのじゃないかと思います。今回大変ご協力・ご尽力戴いた岩手の村田さん、5年経った今でも捜索犬と共に南相馬や三陸沿岸に出向いています。この記事を書いている数日前にも5柱のご遺骨を回収されました。まだ家族の元に帰れ無い方、いまだに例え変わり果てた姿でも帰りを待ち侘びているご家族もあります。まだまだ終わってはいないんです。だからこそあすなろ応援便も声を掛けて戴ける以上、活動は続きます。ただ、その活動があすなろ単独ではなく、色んな仲間との連携・協力の上で成り立っているんだということを痛感した今回の活動でした。今はただ活動自体が「自己満足」にならないように心掛けるのは勿論、これまでに戴いたご縁を最大限に生かせるような活動を展開していきたいと思っています。どうか引き続き、温かいご支援・ご鞭撻をお願い申し上げます。末尾になりましたが、今回大型車・マイクロバスのドライバーとして繁忙期にも関わらず社員さんを派遣して戴いた北海興業の太田社長様、山田町で受け入れ準備をして戴いた廣田様ご夫妻、大人数の昼食を準備したり設営にご協力戴いた山﨑様には特に感謝申し上げ、第43弾の活動報告とさせて戴きます。何せ時間が経って記憶を辿り辿りの報告書ですので可笑しな文脈になってしまいましたがどうかお許し下さい。最後までお読み戴き、誠にありがとうございました。

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4月2日(土) 四日市市でイベント開催!

またまた長らく放置してしまいました。

先週18日の夜から21日の早朝にかけ、岩手県下閉伊郡の山田町と釜石市にお邪魔して来ました。

フェイスブックをされている方は既に参加者からの投稿で様子は窺って戴いたと思います。こちらでの活動報告書は勿論作成しますが、

今暫くお待ちください。

と言うのも、4月2日にあすなろ応援便の5年目の節目として四日市でイベントを開催するんです。

http://www.agz.jp/~agz/higashinipponn/asake.pdf

「震災で繋がった絆 ~ 東北からのメッセージ」と題して、パネルディスカッション、講演会、チャリティーコンサートを開催します。

この5年間、本当に沢山の人と出会い、言葉では言い表せないような不思議なご縁で「点から線へ」繋がらせて戴きました。

第43弾でもそれを証明するかのようなご協力を戴き、震災は多くのものを奪ったけれど、その「見返り」にかけがえのないものを作ってくれました。今回はその中で釜石の勇人君や盛岡から濱守栄子さん、現在四日市大学に在学中の東松島市出身の北村君をお招きし、パネルディスカッションやコンサートを行います。そして「記念講演」は、あの「はるかのひまわり」を拡げる活動を継続している新宮さんに米子よりお越し戴きます。皆さんそれぞれの立場から防災・減災や「繫がり」の大切さ、未来への希望を語って戴きます。

そこで、直前ではありますが厚かましいお願いです。

ご存知の通り、「あすなろ応援便」は完全なボランティアグループで、活動資金は殆どありません。今回のイベントも関係各位のご尽力・ご協力で形は整いました。然し乍ら、ゲストの交通費・宿泊費、会場等の経費を補うには程遠い状況です。

何卒下記の文面をご一読戴き、ご賛同戴ける方がいらっしゃいましたらご協賛戴きたく存じます。どうか「あすなろ応援便」の❝身の程知らず❞な主催イベントにお力添え下さい。

協賛のお願い : http://www.agz.jp/~agz/higashinipponn/asake%202.pdf

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活動予定のご案内

先日、第43弾のご案内をさせて戴き、早くも物資のご提供や活動への参加表明を戴いております。いつもいつも深いご理解とご協力に先ず以って心より御礼申し上げます。

発災から来月で丸5年が経過します。あすなろ応援便(当初は❝復興支援便❞)も5年で40回を超える活動をさせて戴きました。毎年、この時期になると「震災から○年」とか「被災地の今」などという見出しが躍りだします。この5年の間、確かに復興はしつつあります。新しく商店街がオープンしたり、復興住宅が出来て仮設住宅から転出したり。釜石市でラグビーのワールドカップが開催される、世界遺産に登録された、普通だった線路が復旧した・・・。それだけ見れば素晴らしい、着実に復興している、なーんて思っちゃいますよね? でも、お気付きの通り「良い話」・「復興が進んでいる」というのは一部なんです。少なくとも私自身はそう捉えています。

復興住宅に移れるんだよ、と嬉しそうに話してくれた高齢のご夫婦がいらっしゃいました。昨年、偶然にそのご主人と荒浜のイベントでお会いして、その後の生活を伺うと新しく入った復興住宅には顔見知りが全く居なく、奥さんはストレスで体調を崩されているとのこと。家財道具も一から揃えなきゃなんないから、あんたたちが来るって聞いてやってきたんだ、と少し曇った表情で話してくれました。

岩手でも「このまま仮設暮らしのままでいい」と諦め顔で話してくれた方もいらっしゃいました。年々ボランティアも減り、自分たちで自立して行かなきゃならないのは十分解ってる。でもな、船も会社も店も流された俺たち(68歳の方)には今更金貸してくれる銀行も無い、働きたくても年齢で断られる、被災した企業は内陸や県外に出て行ったり廃業・倒産したりして尚更働ける場所がない。だから若いモンはみんな故郷から出て行くのさ・・・。子供たち相手にバカ騒ぎのイベント中にこんな話を聞かされると、自分たちが来た事は果たして良かったんだろうか、本当に喜んで貰えたんだろうか、といつも自問自答しています。

それでも、活動の度に笑顔を見せてもらったり、楽しく過ごさせて戴いていることは事実ですし、自分たちなりに当初の気持ちを曲げずに今日まで継続出来ていることはあすなろ応援便というボランティアグループにご理解を戴いているんだと思っています。ご存知の通り、我々の活動は月命日の11日とお盆だけは避けてきました。敢えて月命日や3月11日に照準を合わせて、というのには抵抗があったからです。それでもやはり5年という区切りの年に何か出来ないかな、とは考えていました。毎年4月の第1土・日曜日に「エキサイトバザール四日市」というイベントが開催されます。最初は東北応援ブースとして招かれ、支援物資を集めたり東北の物品販売をしました。翌年からは知り合った現地の方を招き、陸前高田の漁師さんたちに広田湾で獲れた毛ガニや「浜のミサンガ」を販売して戴いたり、MINIビン玉ストラップを販売してもらったりするようになりました。今年もその手法を、と思っていたんですが、自分たち独自で何か大きな催しが出来ないかを考え、最終的に以下の内容のイベントを開催する運びとなりました。

年度初めや新入学など、何かとお忙しい時期でもあり、また当日はエキサイトバザール四日市も開催されています。我々も3日(日)はエキサイトバザールで東北応援ブースを出店しますが、この日だけは5年間の活動の集大成という想いも込め、無謀にも以下の内容でイベントを主催させて戴くことになりました。現在交渉中ではありますが、四日市市危機管理室、社会福祉協議会、四日市消防職員協議会等が後援して戴けそうです。

ただ、「あすなろ応援便」が主催ですから中身はご想像の通りです。形式に拘ったり、美辞麗句を並べるのは避け、本音を聴いて戴きたい、自分たちが伝えたいことをしっかり伝えたいだけです。せいぜい「学習発表会」レベルになるかも知れませんし、パネルディスカッションの進行を私が務めさせて戴きますので噛みまくり・緊張は必至です。それでも、一度冷やかしに行ってやろうか、という方は是非会場にお越し下さい。ブログや報告書で再三登場して戴いている佐々木君を生で見られるチャンスですよー!

 

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日  時   平成28年 4月 2日(土)  午後14時開場

場  所   四日市地域総合会館 あさけプラザ      四日市市下之宮町296-1 ℡ 059-363-0123

タイムテーブル

14:30    開会あいさつ         鈴 木 克 司 氏 (大矢知地区社会福祉協議会 会長)

14:40   来賓あいさつ         未定

 

14:50  第1部     パネルディスカッション
               体験者が語るあの日、あの時 ~ 初期対応の教訓
           パネラー    
             岩手県釜石市     佐 々 木 勇 人        氏   (三陸網わぁ~く 代表)  
             宮城県東松島市    北     村  潤              氏   (四日市大学 総合政策学部)
             宮城県石巻市     鈴  木 昂 樹          氏   (四日市大学 総合政策学部)

             聞き手           樋 口 博 也(あすなろ応援便 代表)

16:20  第2部   ひまわりが繋いだ絆 ~ 神戸から三陸、そして米子へ
                    新 宮 美津代  氏        (富士夢☆米子隊 代表)

17:00  第3部   春風に乗って 想いよ、届け!
            濱守栄子 トーク&ライブ IN  四日市
                   MC : MACK中原 氏  (四日市観光大使)

18:00  お楽しみ抽選会

18:30  閉会あいさつ  

 

その他    あさけプラザ中庭では小学生以下の子どもさん向けの「ゲームコーナー」を開設します。 これは震災後に遊ぶ場所、遊ぶ物を無くした子どもさんに少しでも楽しい時間を過ごして もらおうと、あすなろ応援便が「子ども縁日」として実際に現地で行っているものです。 会場に来られた子どもさんは自由に楽しんでもらえます。(スタッフが常駐します。) 参加費は無料ですが、景品には数量に限りがありますので予めご了承下さい。 尚、スケジュールの時間は進行状況によって若干前後する場合がございます。

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第43弾 運行予定が決まりました!

昨年11月であすなろ応援便は小休止しておりましたが、2016年の活動再開です!

今年は発災から満5年という節目の年でもあり、恐らくマスコミでも特別番組などで取り上げられるでしょうが、実際にはまだまだ復興と言える状況ではないのが現実です。確かに土地の嵩上げや商店街のオープンなど、「いい面」だけを見れば復興していると思いがちですが、少なくとも現地に行かれた方、あすなろを応援して戴いている皆様ならお判りだと存じます。今、自分たちが感じるのは精神的な復興の遅れです。仮設住宅から漸く復興住宅に移れても、新しい場所に馴染みの顔がなく、全く近所付き合いが無い方、新たに発生する家賃や光熱費の負担、家財道具などを一から揃えなければならないこと・・・。生活力のある若い世代ならばまだ良いでしょうが、年金に頼って生活している高齢者には仮設暮らしよりも重い負担がのしかかって来ます。岩手・宮城・福島の「沿岸部」の人口は震災前に比べて約15%も減少したと先日報道されていました。長引く仮設暮らし、企業や工場の減少、福島に至っては原発の影響で自宅に帰ることすら許されないという理不尽な問題もあり、地元に留まることを諦めざるを得ない状況の結果だと思います。5年経ってもまだ故郷に戻れない方、仮設住宅を出られない方、そして未だに家族のもとに帰って来られない行方不明者がいらっしゃいます。その一方で未だに住民に寄り添って活動されているボランティアさん、東北応援イベントをそれぞれの地域・立場で継続されている団体さんもいることも事実です。あすなろ応援便も当初から言い続けているように、細く長く、出来る範囲での応援を続けていく所存です。少しの時間でも、例え一人であっても現地の方の話を伺い、寄り添うことが出来れば何よりです。

 

さて、今年最初の運行予定が決まりましたのでご報告申し上げます。3月18日の夜出発して19・20日に岩手県山田町へ向かいます。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、山田町は復興事業を委託したボランティア団体が何億という大金を横領したことで、その後他のボランティアが現地に入ることも難しい状況になりました。そのため、支援が行き届いていないそうです。今回、栃木県のK社長を通じ、現地のHさんから受け入れOKのご連絡を戴きました。Hさんの自宅のすぐ近くに150世帯ほどの仮設住宅があり、もう1ヶ所もご紹介戴けるとのことで、活動内容を説明して戴いたら自治会長さんから歓迎のご了解が戴けたそうです。これからHさんとも連絡を取りながら喜ばれる応援物資を募集しますが、取り急ぎ下記の物資をご協力戴ければ幸いです。

 

1.ミシン・布地・手芸用品   仮設で暮らすご婦人方の「生き甲斐」作りにどうしても必要です。毎日時間を持て余し、みんなが

                   集まる機会が無いので、ミシンがあれば小物を作ったりしてみんなが集まれるきっかけになります。

 

2.生活消耗品         仮設住宅からは買い物に行くのも一苦労で、特に高齢者は大変困られています。紙類消耗品、

                   洗剤など大募集します。

 

3.食料品など         保存の効くレトルト食品や缶詰、カップ麺や乾麺、その他味噌・醤油・サラダ油などの調味料もお願い

                  します。ただ申し訳ありませんが今回の訪問先は大所帯ですので、出来ましたらケース単位でお寄せ

                  戴ければ幸いです。 また野菜(特に根菜類)や柑橘類(ミカンなど)もケース単位でご提供戴け

                  れば何よりです。

 

4.衣料品           基本的に衣料品はある程度充足しているようです。下着類、靴下は新品に限り募集させて戴きます。

                  エプロンや割烹着、バスタオル・タオル、着物(お茶会などで喜ばれます)などもお願いします。

 

5.健康器具         日々の生活で運動不足になりがちですので健康器具があれば大歓迎です。

 

6.娯楽用品         高齢者でも楽しめる囲碁・将棋セット、釣り道具、卓球台など募集しています。

 

7.玩具類          レゴ(ブロック)やプラレール、その他スポーツ用品(野球道具やバドミントン、ボール類)

                 ぬいぐるみは破れや汚れのないものをお願いします。

 

8.日用雑貨        100円ショップでみるようなもの、例えば調理器具や洗濯バサミなど、スポンジなどの清掃用具、

                 調味料入れ、箸やスプーンなど台所用品。勿論、やかんや鍋、フライパンなどの調理器具も希望です。

 

9.小型家具        収納に使えるカラーボックス、小さな整理棚、2人用ソファ、折り畳みベッド、折り畳み机(卓袱台)

 

⒑ その他          「こんなものはどうか?」という物品は遠慮なくお問合せ下さい。尚、送料の嵩むものについてもお問合せ

                下さい。地域やグループである程度まとめて戴ければ当方からお引き取りに伺うことも検討させて戴きます。

 

                ただし、我々もあくまでボランティアですので申し訳ございませんが個別のお引き取りはご容赦下さい。また、

                衣料品及び食器類(バラ食器)の募集は現時点ではお断りさせて戴いております。食器でもギフト品など

                セットになったもので化粧箱に入っているものに就きましてはお受けさせて戴きます。あくまでもご自身が受

                け取って「迷惑にならないもの」をお願い申し上げます。

 

                物資のお送り先  〒513-1123

                            三重県鈴鹿市下大久保町2486-2

                            四日市運送㈱ 内  あすなろ応援便  樋口宛

 

                お問合せ先    ℡ 059-374-3144(会社)午前10時~午後17時)

                              090-3253-0251 樋口携帯(24時間OKです)

                メール        dolphine0913@abeam.ocn.ne.jp (パソコン)

                           hiro-yotsuun@docomo.ne.jp (携帯電話)

                Facebook   「樋口博也」  *必ずメッセージを添えて下さい。

 

 甚だ恐縮ながら、整理・仕分けの都合上3月12日(土)到着分で締め切らせて戴きます。予めご了承下さい。

第43弾の詳細につきましては別途ご報告させて戴きます。

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第42弾 活動報告書(その2-2)

今回の会場は笑顔バスの山縣さんからご紹介戴いた場所でした。当然、我々の出し物はあくまでも「前座」であり、「脇役」なんです。どうもその点をちゃんと認識していない責任者にも問題アリ、ですが山縣さんもとっくにわきまえて戴いているようで、絶妙のタイミングでクラウンさんのショーを組み込んでくれます。クラウンさんは医療機関の関係者であり、多忙な勤務の合間を縫って全国各地へ子供たちへ笑顔を届けています。原則としてクラウンさんは喋ることはNGのようで、それをフォローするために山縣さんがマイクで絶妙のトークを展開し、子供たちの笑顔を引き出します。何度も訪問する場所もあれば初めての場所もあるようで、毎回違うクラウンさんのパフォーマンスは子供だけでなく大人も引き込まれる魅力があります。前回の大船渡に続き、今回もしっかり楽しませて戴きました。そのワザの習得のために若干1名に犠牲(?)としてステージに立ってもらっていますが、どう見ても真剣に楽しんでいるみたい・・・。

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楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、ここでもたくさんの笑顔に触れさせて戴きましたが閉会も近づいています。バタバタしながらもなるべく現地の方と話しをする機会を作るように心がけているんですが、この2日間で同じような話を聞きました。ようやく復興住宅も出来て、仮設住宅から出て行く方がいるものの新しいコミュニティに馴染めない、という声が思いの外多いんです。特に高齢の単身者にとってはかなりストレスを感じられているようで、全く知らない人ばかりで近所付き合いが無くなったとか、もう一度仮設住宅に戻りたい、という方もいらっしゃいました。民生委員さんも個別に訪問しても外へ出たがらない高齢者が多くて困っておられるようでした。生活能力にも個人差があり、最後まで仮設に残るのは日々の生活に困っている高齢者だろうとのことです。もうすぐ5年という長い時間で行政からの見舞金や支援金は殆ど底を尽き、年金の中から今後は光熱費や家賃を捻出していかなくてはならないんです。だからこそ未だに配布会を心待ちにしている方が多いのも事実なんです。少しでも出費を抑えなくては将来の不安に押し潰されるから、と話していた気仙沼のお婆ちゃんの目が脳裏に焼き付いています。「また来るからね」としか言えない自分がもどかしいです。マスコミでも東日本大震災の報道は殆ど無くなっています。また来年3月が近づけばこぞって特番を組むことは目に見えていますが、まだまだこうして不自由な、そして不安な気持ちで毎日暮らしているたくさんの人々のことを忘れないで戴きたいと切に願っています。今年は東北へ行く回数もかなり減ってしまいましたが、来年も引き続き出来る範囲で継続していきます。またこの報告書をお読み戴いた皆様からお力添えを戴けますよう、心からお願い申し上げます。

最後になりましたが、皆様にとって明年が素晴らしい年になりますことを祈念し、第42弾の活動報告とさせて戴きます。

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第42弾 活動報告書(その2-1)

さて2日目の朝、午前6時半に新しくなった女川駅でSさんと久し振りにお会いしました。こちらのイベントで販売した手作り小物の代金のお支払いと、若干の応援物資をお渡しするためです。Sさんの暮らす仮設住宅は現在8世帯。すぐ近くに新築移転して正月は新居で迎える予定が、造成工事などの遅れで来年夏以降になりそうだとのこと。その影響か野生の鹿などが頻繁に出没し、住民が作った畑を荒らしているそうで、今回お届けした白菜は大変喜ばれました。まだまだ苦労は続きますが、新居への引っ越しという一つの楽しみが着実に近づいているようです。クリスマスの頃に女川駅前にも商店街が完成し、買い物客で賑わっているそうで、女川にも少しずつ復興への足音が響いていました。

午前7時に全員顔を揃え、石巻から三陸道・仙台東部道路を経由して一路亘理へ。今回の会場となる荒浜へは以前にも物資配布でお邪魔していましたが、今回は笑顔バスの山縣さんのご紹介で鳥の海にある「荒浜にぎわい回廊商店街」さんです。ここは仮設ではなく、立派なアーケードを備えた商店街で、丁度前日には「カレイフェスティバル」というイベントが開催され、かなりの来場者で賑わったそうです。北海道から取り寄せた体長1.8mの「オヒョウ」(大型のカレイ)の解体ショー、丸ごと1匹のカレイの唐揚げ800人分無料提供、更にシンガーソングライターの八神純子さんのコンサートなどがあったそうです。その影響で、今日は来場者が少ないのでは、と少し不安になりながらも山縣さんと一緒に商店街の理事長さんに挨拶して早速設営に掛かります。ここはすぐ隣にふれあい市場、徒歩圏内に温泉施設があり、休日は結構お客さんの集まる場所です。現地の方だけではなく一般客もいらっしゃるんですが、我々はこの商店街のPRのお手伝いが目的ですのでいつにも増して力が入ります。

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ここでの振舞いの食材は約300人分あったんですが、焼き始めと同時に行列ができ、昼前には全て品切れになってしまうという、恐らくかつて記憶に無いスピードで来場者の胃袋に収まりました。朝からわざわざ応援に駆けつけて戴いた仙台のSさん、岩手県のMさん、地元のWさんには殆ど口にして戴けなかったと思います。この日初めてお会いした岩手のMさん、ゆっくりお話しする時間も無かったんですが、とんでもない人物でした。災害救助犬の調教師をされているとは聞いていたんですが、その行動力と想いは並大抵のことではありません。彼女の活動の記事がありましたのでご一読下さい。http://diamond.jp/articles/-/14465

そんな方々のお手伝いも戴き、商店街はいつの間にやら大勢の来場者でごった返しています。振舞いコーナーは長蛇の列、ゲームコーナーにはたくさんの子供さんたちが歓声を上げてくれています。景品も通常の1.5倍は用意していたんですが、これも全て無くなりました。配布会もする予定だったんですが、こちらは前日の気仙沼で予想以上に人気があって、ここで出せるものは全くなかったんです。

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最最強の助っ人のご紹介が遅れてました! 以前亘理の吉田保育所でお世話になった園長先生と荒浜保育所の園長先生、そして保育士さんたちが来場して戴いたんですが、事前に子供たちに遊びに来るように声を掛けて戴いてたんです。「せんせい、きたよ~!」という元気な声に笑顔で振り向き、相手をしてくれています。先生方には一番手こずりそうなクリスマスキャンドルの配布と絵本コーナーを見て戴いたんです。キャンドルも大きなダンボール3箱、絵本もプラスチックコンテナで10ケース以上あります。当然、我々は殆ど持ち帰りになるだろうと覚悟していたんですが、その空気を察知したのか、突然両園長先生のスイッチが入りました。通りかかる人、それが知り合いであろうと無かろうと、老若男女を問わず声を掛けて呼び止め、ジャンケン勝負を挑んでるんです。「勝ったらキャンドルプレゼントすっから!」と相手の都合も考えず(失礼)、とにかく勝つまで帰らせないというノリで山積みのキャンドルがあっという間に捌けました。ジャンケンもさることながら、両園長先生の掛け合いが最高に面白く、まるで関西の芸人の漫才を見ているようで、暫し見入ってしまったほどです。こんな先生だったら保育所でも笑いが絶えないんでしょうね。

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理事長さんからは「残り物でわるいけど」と、前日に振る舞ったオヒョウとカレイの唐揚げを戴きました。山縣さんの笑顔が全てを物語っていますが、その横で美味しさのあまり目が寄ってしまったH君の姿がありました。理事長さんのお店・・菊一商店さんは定食メニューと揚げ物が評判で、マスコミにも何度か取り上げられたそうで、特にコロッケが自慢だそうです。ここへ行かれる機会があれば是非立ち寄ってみて下さい。その他のお店でも目の前の漁港で水揚げされた新鮮な魚介類や地元の野菜を使ったメニューが提供されています。振舞いで満足出来なかった方もかなりお店に行かれてたので、少しはお役に立てたのかな、と思っています。

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第42弾 活動報告(その1)

今年も押し迫って来ました。皆様に於かれましても、年末に向けておわ正しい日々をお過ごしのことと存じます。全国的に労働力不足が問題になっている昨今、当社も例外ではなく、夏以降に何人か入社してくれましたが、1名が脳梗塞で入院、1名が退社と年末に向けてどうなることか、と11月から日々走り回りながらの気ぜわしい日々を送っていました。そんな中でも東北へ暫く行っていなかったのがストレス(?)になっており、急遽11月の連休に行こう!と決めてしまいました。それも11月に入って10日過ぎだったと思います。行くのを決めても何処へ行くのか、何をするのかが問題であり、当然参加してくれるスタッフの確保も必要です。発災後5年近くになり、以前のような物資配布は殆どニーズもなくなりつつあり、専ら子供さん向けのイベントに特化しつつある傾向は否めませんが、倉庫には全国から寄せられた応援物資もまだ残っています。子供たちを楽しませ、父兄や来場して戴く住民の皆さんにも喜んで戴ける受け入れ先はないものかと思案していましたが、やはりこういう時は現地のお力を借りるのが一番です。今回打診させて戴いたのは「笑顔バス」の山縣さん、そして4年前に一度だけ訪問した気仙沼のIさん(たまたまFBで繋がっていました)、その他にも数名打診させて戴きました。真っ先にご連絡戴いたのが山縣さん。11月の22日なら受け入れてもらえる商店街がある、とのことでしたので先ず1ヶ所確定。これが宮城県亘理郡でしたので、なるべく近隣で、と考えていたらIさんから受け入れOKのご連絡を戴き、21日の土曜日に気仙沼でイベント開催となりました。次は宿泊先の確保。たまたま10月のアクアイグニス(三重県)でのイベントで女川町のポスター展が開催され、そこで気になっていた女川町の宿泊施設「エルファロ」に連絡し、取り合えず8部屋確保。実は、いつも利用する宿泊施設は全て予約で満室だったんです。予約してから地図を見れば何とも微妙な位置です。それでも震災後に出来た「トレーラーハウス」のホテルということで是非とも利用してみたかったので、あとは寝る時間を削ればいいか、と相変らず単純な頭で決めてしまいました。急なことで参加者のことも不安でしたが当方から6人、途中から1人、福井からはH社長親子が亘理へ駆けつけてくれ、土曜日は陸前高田から3人、日曜日も仙台や岩手から応援に来て戴き、何とか頭数は最低数確保出来ました。

さて、土曜日の活動からレポートさせて戴きます。会場となったのは気仙沼市の高台にある「気仙沼公園仮設住宅」でした。ここは第9弾(2011年10月)に一度訪問した所で、実に4年ぶりの再訪となりました。当時は192世帯もあり、配布会には長蛇の列が出来たことも思い出し、感慨ひとしおでした。Iさんが所要で少し遅れるとのことでしたが、イベント開催に一役買って戴いた「ボランティアステーションin気仙沼」のHさんが駆けつけてくれ、一緒に自治会長さんにご挨拶。すぐに設営を開始しましたが事前の告知をして戴いたこともあって子供さんやおばあちゃんたちが三々五々様子を伺いに出てきてくれました。「どこから来たの?」とか「何をしてくれるの?」と次々に質問を浴びながら時間を気にしつつ準備の手は休められません。それでも、この時間が毎回すごく楽しみなんです。僅かな時間で仲良くなれたり、手伝ってくれたり。中には「あんたたち、前にも来てくれたよね?」というお母さんが。この4年間でかなり仮設を出た人がいることや復興住宅の話、そして4年前の配布会の話にも花が咲きました。今回のメンバーで4年前に来たものは他に一人もいませんでしたが、トラックに貼ってある「こにゅうどうくん」のステッカーで思い出してくれたようです。

事前の話では50名くらいと伺っていたんですが、実際にはその倍以上の来場があったと思います。仮設住宅ということもあり、子供さん向けのゲーム以外にも応援物資(陶器、雑貨、小型家具、ぬいぐるみなど)の配布会場も設けました。振舞いコーナーも四日市とんてき、焼きハマグリ、みたらしだんご、綿菓子にポップコーンを用意し、焼き始めるとすぐに行列です。天気にも恵まれ、最高のスタートとなりました。

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10時過ぎにはあちらこちらから歓声が聞こえ始め、配布コーナーには両手に余るほどの品を手に満面の笑みを浮かべるお母さんたち。何でもこのような催しは久し振りとかで、「まだ忘れないでいてくれるんやね」という言葉にはやはり一抹の寂しさを感じましたが、住民の皆さんは本当に笑顔で接してくれました。スタッフとして同行してくれたTさんから提供のあった着物は陳列している時からお茶の教室をされているというご婦人が全部欲しいと言われていたんですが、他にも希望者が多かったので仲良く分け合って戴きました。持ち帰りかな、と思っていた万古焼の小皿や土鍋を利用した植木鉢は想像以上の人気で、プラスチックケース6個分が全て引き取って戴きました。以前にも他の場所で出したんですが、殆ど残っていた物なんです。今回は小皿は全て柄を揃えてビニールラップでくるんだり、植木鉢には実際に花を植えて「サンプル」の展示をしてみたのが功を奏したようです。

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この土鍋やマグカップも塗りムラがあったりした「B級品」だそうですが、底に小さな穴を空けて植木鉢に変身したことで新たな利用法が出来たものです。出し惜しみしてまだ少し倉庫に残してあるので、次回もこの方法を取り入れよう、と密かに考えたのは内緒です。

振舞いコーナーはとんてき担当のM料理長、みたらし担当の大工M君、ハマグリ担当のH君の職人技により用意した約200人分が全て完売。持ち込んだ「畳の縁台」でくつろぎながら三重の味を楽しんで戴きました。

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右下の写真は担当者不在の綿菓子機の前でいまかいまかと健気に待ち続ける子供さん。何せ食べ物で5品目、配布コーナーに加えてゲームコーナーでスタッフは手一杯の状態です。そんな様子を見かね、今回はカメラ係を頼んでいたT君が急遽名乗りを上げてくれました。今回は東京で仕入れた5色のザラメを用意していたので「何色がイイ?」とリクエストを聞きながら対応してくれています。そんな訳で今回も写真が思ったより少なくて残念ですが、子供たちの笑顔には替えられません。

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後半には「必殺!セルフサービス」で来場者にもお手伝い戴き・・・・・それが原因かどうか、翌日には綿菓子機が壊れるハプニングがありました。(泣)

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ここの子供さんたち、元気一杯で礼儀正しく、みんなが仲良しでした。年上のお姉ちゃんの言いつけを小さな子が素直に従い、仮設の住民でない子供さんを見かけると声をかけて一緒に遊んでくれる、そんな素敵な子供たちでした。ここは開設当初から神戸の震災を教訓にし、幅広い年齢層が一緒になったコミュニティ作りを心掛けたそうです。高齢者ばかりが集まった所では、また災害が発生した時に誰も動けないことを想定し、元気な若い世代と一緒にいることで緊急時に即対応出来ることが安心にもつながったそうです。確かに、発災後暫くは現地の情報が混乱し、仙台や石巻、釜石など大きな都市部の情報はマスコミの報道からも伺い知ることは出来ましたが、もっと小さな町村や、ましてや個々の避難所や仮設住宅からの情報はインターネットへの書き込みからしか知る術がありませんでした。若い人がいるとスマホやパソコンで必要な情報を提供でき、我々もその情報を頼りに活動したものです。ここを知ったのも窓口になって戴いたIさんの情報を大阪のKさんがキャッチし、必要な物資や世帯数などの情報を戴いてトラック2台で物資をお届け出来たんです。高齢者ばかりだとやはり失礼ながらインターネットを使いこなせる方はごく少数で、携帯電話すら持っていないという方もかなりいらっしゃいました。固定電話は被災して使えないため、数日間孤立状態になった集落もあったと聞きます。そういった意味ではこの仮設住宅の取り組み方は今後の教訓として残すべきものだと痛感しました。仮設から出た人も、いまだに仮設での生活を続けている方も同じ苦労をした「仲間」としての連帯感もあるんよ、と嬉しそうに話して下さったご婦人の言葉が忘れられません。また訪問したい場所が一つ増えました。今回、大工M君の仲介で水沢消防団さんから提供のあった白菜をお配りし、楽しかった初日が無事終わりました。4年ぶりにお会いしたIさん、今でも当時と全く変わらない外観もさることながら、ベビーカーに乗っていた赤ちゃんがすっかり大きくなってすっかり「お兄ちゃん」になっていたのには驚きました。Iさんも今は仮設を出て新居で生活されているそうで、少しずつですが元の生活を取り戻しつつあるんだな、と実感しました。今度会える日を楽しみに、最後まで見送って戴いた皆さんに別れを告げて気仙沼を後にしました。

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さて、時刻は午後4時、これから女川までひとっ走りですが、楽しみにしていた「女川丼」には間に合いそうにありません。少し時間的には中途半端でしたが気仙沼港にある「魚の港」へ。ここの海鮮丼は料理長Mさんが「忘れられない」と言っていたのを思い出したんです。隣接する海産物の売店で買い物をし、海鮮丼に舌鼓を打って眠い目をこすりながら約3時間、今日の宿泊地である女川町のエルファロに辿り着いたのは夜9時過ぎ。真っ暗闇の中にライトアップされた宿泊棟を見て想像以上に立派な施設に驚いた上に、シングルルームとして予約した部屋は全てベッドが2つのツインルーム。これなら2人1部屋で良かったやんか!とブーたれつつもその快適な設備に満足しました。残念ながら新造となった女川駅に併設された温泉施設は営業時間に間に合わなかったこと、翌日の出発が午前7時と早かったことが悔やまれますが、また必ず泊りに来たいところでした。

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