第46弾 活動報告書

大変長い間放置していたことを先ず以ってお詫び申し上げます。

前回は岩手県の山田町での活動報告が最後で、その後「あすなろ応援便」としての東北行きが無く、地元のイベント等でチャリティ活動などをして今日に至りました。その間も仕事で仙台などに向かった際に立ち寄ったり、電話やメール等でご縁のある所とはコンタクトを取り続けてはいたんですが、漸く今回、第46弾としてご報告させて戴けることになりました。久し振りですので、相変わらず支離滅裂な文面になるとは思いますが、どうか最後までお付き合い下さい。

 

今回はGWの真っ只中、5月の2日出発で3日・4日と宮城県に向かいました。参加を呼び掛けたのも4月になってからで、色々予定も入っているから参加者は少ないだろうな~、とタカを括っていたんですが、最終的には鈴鹿から16名、現地合流が2名となりました。

応援便の過去をご存知の方ならお分かりでしょうが、今まで自慢じゃありませんが予定通りにいったことは一度もなく、必ずと言っていいほどトラブルや行程変更、忘れ物が付き物でした。ましてや行程スケジュールなど作った覚えも無く、全て自分の頭の中という何とも身勝手な行程を組んでいました。ところが今回はちょっと異なります! 新規の参加者が数名あり、東北は初めてという方もあったので訪問先の地図、行程表を作って全員にお渡ししました。おそらく予定通りには行かないだろうな~と無駄な労力になる気もしましたが、実は今回義父(82歳)が一度連れてってくれ、というので少しでもいい格好しなきゃ、というプレッシャーがあったのかもしれません。(^^;

さて、出発当日の午後3時頃から参加者が集まり始め、旧知の人、初めての人それぞれが挨拶を交わし、出発を待つのみとなりました。そこへトラブル発生! 今回参加して戴く方がこちらへ向かっている途中でエンジントラブルで車が動かなくなった、との一報が。結局どうすることも出来ずに残念ながらキャンセルとなってしまいました。やっぱり何らかのトラブルがあるな・・・と言っても出発前やんか。これから先が不安になってしまいます。出発予定の午後6時、まだ一人足りません。あらら、また出発が1時間くらい遅れるかな、と思っていたら元気よく飛び込んで来てくれ、何とか15分遅れで出発。ま、良しとするかってことでいざ出発です。今回は炊き出しやゲームの備品などがあったんですが、幸運にも2日着で仙台行きの荷物があったのでそれに積んで前日に出発しています。もう一人も1日の夜行バスで女川町に向かっており、総勢13名を乗せたマイクロバスは宮城を目指して出発しました。

このGW,すごく天気に恵まれていましたが、選りによって2日・3日という連休中日は全国的に天気が崩れ、どうも雨に祟られているメンバーがいるのでは?と勘繰りたくなります。せめてもの救いが今回は応援便始まって以来初めてのボランティア抜きの行程だったことと4日の午後には晴れるという予報でした。今回は「慰霊」と「交流」目的だったんです。雨の中で炊き出しやイベントなんて出来ませんからね。

さて、一行を乗せたバスは伊勢湾岸道・東名・新東名を順調に走り、東京ICには午前0時頃、更に首都高速を走りながら下の方しか見えないスカイツリーを眺めて常磐道へ。今回のエースドライバー内藤君の尽力で予定通りに守谷SAへ。ここでセカンドドライバーの豊増さんにバトンタッチ。常磐道の四倉PAでも時間通りに到着し、いよいよ自分の番になりました。

休養十分戴き、今まで足掛け7年慣れ親しんだ場所ですので少しでも色んな状況を見てもらいたいということもあり、当初からこのタイミングでハンドルを握るつもりでした。広野ICで高速を降り、国道6号線へ。道路沿いに積み上げられた黒いフレコンバッグが薄暗い中にもはっきりと見えます。すっかり様変わりした富岡駅の前へ行き、更に北上すると未だにバリケードが置かれ、主のいない家や商店が立ち並ぶ帰還困難区域へ。7年前からそのまま残されている家屋や草だらけの土地を目の当たりにし、誰一人言葉が発せない重い空気に包まれました。楢葉、飯館、浪江と誰しもが目や耳にした地名をみる度に原発の影響がいかに凄まじいものかを身に染みて感じたことと思います。

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南相馬の道の駅で小休止のあと、再び常磐道に入って一路仙台へ。仕事帰りによくお世話(?)になる仙台トラックステーションで先行していた当社ドライバーの伊藤君をピックアップ。再び高速に乗って、まず最初に訪れたのが松島。ここは予定に無かったんですが、初めて東北に来たメンバーも数人いたので日本三景の松島くらいは見に行こうという気持ちでしたが、時間も順調過ぎる位に早かったので、駐車場にバスを止め、瑞巌寺まで散策しようか、と思いきや遊覧船のスタッフ数名が丁重に出迎えてくれ、乗船を勧めてくれます。幸い、30分というコースがあったので期せずして松島湾巡りが出来ました。7年目にして初めての「観光」です。

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この時点でまだ午前8時。船を降りてから東松島の大曲浜へ。ここは「青い鯉のぼりプロジェクト」といって、津波で命を落とした子供さんが好きだった青い鯉のぼりを飾って慰霊しています。その数、今では600匹余りとのことですが、この日は雨に濡れて垂れ下がった鯉のぼりが寂しそうでした。

第46弾2

さて、次に一行が向かったのは石巻市。工業港を見て、お馴染みの「がんばろう石巻」の看板のある慰霊碑で黙祷し、今でもシートに覆われた門脇中学校を遠目に見ながら日和山公園へ。ここでは同行した谷さんが気を利かせてくれ、愛知県から出向し、現在石巻市役所に勤務されている加藤さんが待ち受けて下さいました。加藤さんは単身赴任ですが、石巻に住民票を移して市民ボランティアとしても活躍されています。眼下に広がる荒涼とした市街地を見ながら嵩上げ工事の状況など詳しいご説明を戴きました。このかつて市街地だった場所に公園が出来るそうですが、嵩上げに後2年ほど掛かるというお話を聞き、まだまだなんだなぁ、と痛感しました。

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次に向かったのがあの「大川小学校」です。個人的には昨年の11月にも訪れており、通算4度目になりますが、昨年見た犠牲になった教職員・生徒さんの名前が刻まれた慰霊碑が見当たらず、慰霊像と校門だけが移設されていました。丁度数日前に遺族と行政との裁判の審判が下った直後でもあり、かなりの訪問者がいらっしゃいましたが、天井が捲れたままの教室、ねじ曲がったままの渡り廊下などを誰しもが悲痛な面持ちでそれぞれの脳裏に焼き付けていたようです。時間が止まったままの遺構は7年経過しても当時のままの状況でした。ボランティアの人たちが花壇の手入れの真っ最中で、その傍らで一同献花をして黙祷を捧げました。(四日市とんてき協会さんから供え物として提供戴いた「とんてきソース」は、ご迷惑になるといけないので引き上げさせて戴きました。)

 

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裁判の結果が出たもののまだ行政側が控訴するようです。それに対しての感想は差し控えさせて戴きますが、ただ参加者全員がここで起こった事実を脳裏に刻み、自分たちが同じような災害に見舞われた時にこの教訓を生かすことが何よりの弔いになるんじゃないか、と思います。

最後に慰霊先に選んだのが南三陸町の旧防災庁舎でした。新しく繋がった三陸道を、と思ったんですが海岸に沿って国道398号線を北上、途中に新しく出来た道の駅(?)で休憩し、志津川町へ向かいます。ホテル観洋が近付くと、まだ避難所として使われていた時に物資を配布したこと、その近くの喫茶店で志津川湾の海水が引いて海底が見えるほどのビデオを見せて戴いたことなどが次々に思い出されます。当時は道路(45号線)も舗装が剥がれ、自衛隊が応急に設置した橋をトラックで恐る恐る走ったなぁ・・・

夜は真っ暗闇で、警備のパトカーの赤色灯だけが目立っていたなぁ・・・そんなことを想いながら志津川に到着すると嵩上げ工事で目指す防災庁舎が見えません。「あそこに結婚式場(廃業)があるから、その近くだったよな」、と記憶を辿りますが、何せ道路が全く以前と変わっています。それでも漸く防災庁舎を見つけて近づいたら現在は立ち入り禁止になっています。取り敢えずバスを停め、献花台で全員黙祷させて戴きました。たまたま居合わせた市の職員さんに話を聞くと、南三陸さんさん商店街が移転して、将来的には庁舎周辺も公園となり、商店街から橋を渡って行けるようになるそうです。しかし、それも2~3年先だとか。工事費用や人手の問題、それ以前に工事を請ける業者さんが不足していると嘆かれていました。来年のラグビーワールドカップ、再来年の東京オリンピックなど国を挙げての大型プロジェクトで建設業者の取り合いが起こっているとのことです。いずれにしても、町全体が消滅した、と言われた志津川町に新たな商業施設ができ、三陸道も繋がったので以前に比べて格段にアクセスは良くなりました。商店街も連休ということもあって名物の「きらきら丼」にはどの店も長蛇の列。我々もきらきら丼で昼ご飯!と意気込んでいたんですが敢え無く断念せざるを得ない活況ぶりでした。早く住民が戻って、元の生活・賑わいが帰って来ることを願って止みません。

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南三陸で約2時間ほど過ごし、初日最後の目的地、女川町へ向かいます。何と、ここまで全く予定通りにメニューを消化し、あまりにも順調過ぎて逆に不安になってしまいます。いつもハンドルを握ると条件反射のように眠くなったり寄り道したりという悪いクセが出るんですが、今回は全く眠気も無く、参加者全員の協力もあって本当に順調でした。三陸道の志津川ICから石巻女川ICまで高速移動し、女川町には16時着の予定が10数分早く着いたので土台から倒壊した女川交番の前で全員降車してもらい、そのまま新しく完成した商業施設「ハマテラス」を散策してもらい女川駅へバスを回送しました。ここで先行していた当社の高木君と合流。彼は現在当社に勤務しつつ「あすなろ応援便」に参加してくれていますが、それまでは四日市でボランティア活動をされている「防災一座」さんのメンバーとして活躍していました。防災一座さんは女川町にある熊野神社の例大祭の神輿の担ぎ手を募集して毎年GWに女川町へ訪問されており、四日市の聖歌隊(女子高)の生徒さんを引率して女川や石巻などへ訪問を続けておられます。高木君も当社に来てからも毎年熊野神社の例大祭応援のスタッフとして防災一座の松野代表から要請され、今回も5月1日の夜行バスで先行していて、本日「お役御免」となって我々に合流となったんです。松野代表に見送って戴き、これでメンバー15名が揃いました。

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全員合流して更に賑やかになったバスは三陸道・仙台東部道路を南下して岩沼市へ向かいます。今日の宿泊先は以前にもお世話になった岩沼リゾート(東京第一ホテル運営)です。以前宿泊した時は一泊朝食で安く泊まれたんですが、GW期間中は一泊2食付きのみの予約とのことでした。人数が多いので他に空室もなく、4月中旬に3部屋確保していたんです。ちょっと予算的には厳しかったですが、バイキング形式の夕・朝食には一同大満足。広いお風呂で長旅の疲れもしっかり癒されました。実は、ここに到着した時に思わぬサプライズがありました。仙台で介護タクシー業を営んでいる宇佐美さん、現地でのイベントで大変お世話になっている笑顔バスの山縣さん、同じくイベントにご協力戴いている鶴田さん、そしてメンバーの豊増さんのご友人が相次いで面会に来て下さいました。遠く離れていても、いつも応援して下さる方々の顔を見て、何故か「帰って来た」という気分になるから不思議なものです。豊増さんもご友人とは30年振りの再会とのことで、そのきっかけになれたのも嬉しいことです。わざわざ差し入れまで頂戴し、本当に有難うございました。宇佐美さん、山縣さんはお仕事の都合で残念でしたが、それ以外のお二人は翌日もご一緒して戴けるとのことでワクワクしながら床に就きました。

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2日目は少し雨も残っていますが、所々に青空も見え、何とか予報通りに晴れてくれることを願って午前8時半にホテルを出発しました。今日の午前中は今回のツアーのメインでもある閖上です。今まで亘理へは何度となく訪問していても閖上地区へは伺っていませんでした。以前、名取市の愛島東部仮設住宅で夏にイベントを開催した折りに窓口としてお世話になった長沼さんが閖上の語り部としてご活躍されていることをFacebookで知り、今回是非にとお願いして時間を作って戴いたんです。折角閖上に行くからには「閖上朝市」にも立ち寄ろう、ということで現地には9時過ぎに到着。土日祝日しか開催されていないという朝市会場には既に多くの買い物客が溢れ、牡蠣やホタテを焼く香ばしい匂いも漂って来ます。てっきり海産物だけかと思いきや、野菜・果物・肉・珍味など様々な物が売られています。しかも安い! 午後に予定しているバーベキューの食材もここで調達出来ました。川出さん、豊増さんの奥様、当社事務員の山本さんといった女性陣も楽しそうに店を見て回っていたようです。やはり活気のある朝市っていいですね。しばし買い物タイムを楽しんだあとは「日和山」の駐車場へ移動し、ここで長沼さんと合流。挨拶もそこそこに早速ガイドをして戴きました。すぐ近くに建てられた慰霊塔の先端の高さまで津波が来たことから始まり、被災当時の長沼さんやご家族の様子をお聞きしました。日和山の上に登って見渡せば新しく作られた復興住宅や工場、住宅地が見えますが、まだまだ土地整備の真っ只中。その後「閖上の記憶」へ場所を移し、VTRや写真を拝見しながら家ごと流されて自衛隊に救助されたこと、自家用車がかなり離れたところで見つかったこと、などなど当事者で無ければ表現出来ない貴重なお話を伺いました。その中で我々が一番気になった言葉・・・。「自宅が再建出来たからと言っても、復興したとは言えない。今目の前にある景色、閖上の町は震災前のものじゃ無いんだ。頑張ろう、と言われてもこれ以上頑張りようがないし、あれほど日本中が絆って言葉を出していても7年も経てばそれも薄らいでいることを痛感する。自分たちにとっては絆よりも『つながり』が大事だと思っている。だから、また来て欲しい。子供や孫の代になってもここへ来て、貴方たちが語り継いでくれることを実際に見て欲しい」 間違っているかもしれませんが、そのような言葉を発せられたと思います。新しく町が作られ、そこに住宅や商業施設が出来ても、それが「復興」とは言えないということを改めて教えられたんです。この地から避難し、そのまま戻らなくなった人もいます。新居が出来ても二重ローンや新たな負債を抱える人がいます。復興住宅に入っても隣近所は知らない人ばかりで孤独感が増幅する・・・。長沼さんの言葉は一つ一つがすごく重いものでした。恐らく参加者全員がその言葉に各自向き合い、どうすることで現地の方々と「繋がれる」のかを考える最高の機会を与えて戴きました。ご無理をお願いして本当に良かったと思います。長沼さん、貴重なお話、本当に有難うございました。

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日和山日和山裏側長沼さん

寄り添い閖上またきてね

記憶

長沼さんと又の再訪をお約束して閖上を後にし、今回最後の訪問先である亘理町の斉藤農園さんへ。

ご存知の方も大勢いらっしゃいますが、斎藤農園さんとは震災直後の7月からのお付き合いで、今では自分にとって宮城の親戚と言っても過言ではないお付き合いが続いています。津波で水没してしまった農機を伊藤君が鈴鹿まで持ち帰り、豊増さん・池添さんという「エンジニア」がボランティアで修理し、それを使って震災後4年目にしてイチゴ栽培が復活した、というあすなろ応援便の活動とは一番ご縁のあるところです。毎月のようにお邪魔しては庭先をお借りして近隣の皆さんへの物資配布でお世話になり、その都度ご家族揃っての手厚いおもてなしにお邪魔したことのある者は「また行きたい!」という、我々にとっては唯一オアシス的な存在でした。今日は2年振りに大人数で訪問し、みんなでバーベキューを、というのが今回ノツアーの発端でした。長沼さんも言われていた通り、年月が過ぎると徐々に震災のことも風化してしまい、訪問する人もめっきり減ってしまって寂しくなった、という話をあちらこちらで耳にします。それでも何度となくお会いしたり、親しくして戴いた方たちに会いに行きたいという気持ちは変わらず、「ボランティアで」とか、「支援物資のお届け」ということ以外で「繋がっている」から訪問したくなるんでしょうね。

斎藤農園さんに到着すると、待ってました!とばかりに次女のかなちゃんとその友達が駆け寄ってくれました。後ろからご両親たちがにこやかな笑顔で迎えてくれます。本当に「ただいま!」っていう感じなんです。今回参加出来なかった中西先生などは実家と呼ぶほど親しくなっており、一緒に訪問したメンバーが直接お邪魔したり、イチゴを注文してくれたりと何らかの形で繋がっていることが何よりの喜びです。

ホテルに停めさせて戴いていた大型車も到着し、積荷を卸していつも通りイベント会場の設営開始!今回は子供さんたちが大勢来てくれると伺っていたので、活動の定番メニューのゲームコーナーやバーベキューの準備を開始。やはり経験者揃いですので1時間ほどで設営完了。今回はバーベキューと言っても特別に四日市とんてき協会さんのご厚意で、本格的な「とんてき」を振る舞います。以前にもレトルトのとんてきは何度も提供したんですが、その味が忘れられない、と言ってくれた子供さんのためにご無理をお願いしました。他にも焼きハマグリや閖上朝市で仕入れたバーベキュー食材、お母さん達手作りの稲荷寿司やおにぎり、総菜と何とも豪勢な食事となりました。はるばる福井県から駆けつけてくれた平木さん親子も加わって、あとはソフトボールの試合帰りの長女しんちゃんと長男オー君たちの到着を待つのみです。開宴(?)に先立って、お父さんからイチゴのハウスへ案内して戴き、全員が楽しみにしていた「イチゴ狩り」のスタートです。わざわざ我々のためにと収穫せずに残しておいてもらった畝にはたくさんの真っ赤なイチゴが付いています。時期的にあまり数が出来なくて実も小さい、とは事前に聞いていたんですがとんでもない! 立派な大粒のイチゴもたくさんあり、各自思い思いに摘み取っては口に運ぶ、という至福の一時を過ごさせて戴きました。「いつかは皆でイチゴ狩りに来ます」と言っていたことが実現した瞬間でした。今回、事前にお願いしてイチゴを冷凍してもらっていました。イチゴだけでかき氷作ったら絶対美味しいだろうな、という単純な発想だったんですが、最近はそういうスイーツを提供する店も増えていたんですね。しかし!ここのイチゴは練乳なんか使わなくても十分甘いんです。しこたま新鮮なイチゴをお腹一杯に詰め込んでも更に食べられ、恐らく生涯でこの日ほどイチゴを堪能したことは無かったでしょう。

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しばし歓談しながら食事を始めていると賑やかな声が聞こえてきました。試合の終わったしんちゃんたち女子中学生グループが到着、程無くしておー君たち小学生ボーイズの到着です。伊藤君・平田君といった馴染の顔を見つけると一気に時間が遡って嬌声が響きます。暫く見ないうちにすっかり大きくなった子供たちにとっても過去に一緒に遊んでくれたオジサンのことを覚えてくれてるんですね。どこへ行っても子供たちに人気の伊藤君、今回もお笑い芸人の○○○に似てる!と大モテ(?)でした。

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ゲームの方も結構もりあがりましたが、今回は更に工作コーナーも設置しました。工作といっても、素焼きの「蚊遣り豚」に飾り付けすることと、アロマキャンドル作りといった単純なものなんですが、実はPRも兼ねていたんです。

四日市の地場産品で萬古焼(ばんこやき)があり、土鍋は国内シェアの70%とも言われ、急須と共に有名です。あまり知られていないんですが、実はこの「蚊遣り豚」も有名で、あすなろ応援便のイベントでも持ち込んだことがありました。実は、今回同行して戴いた四日市とんてき協会のマスコットキャラクター「テキブー」はこの蚊遣り豚をモチーフにしています。夏の風物詩でもあり、これから蚊が出始めたら実用できること、蚊遣り豚を見たら四日市を、そして我々のことを思い出してほしいという願いでもありました。本来ならば蚊取り線香を入れて使うものなんですが、ロウソクを灯してインテリアとしても転用出来るのでアロマキャンドルとセットにしてみたんです。流石に女の子、一生懸命に飾り付け、キャンドル作りにも夢中になってくれました。

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楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、一泊四日(車中二泊)の東北ツアーも終了の時間となりました。みんなで片付けをし、大量に出たゴミも川出さんのご厚意で処分して戴くことになり持ち帰り。我々が46回の東北訪問で「現地に極力迷惑を掛けない」ことに理解して戴いてのことです。配布会の時も空になった大量のダンボールを持ち帰ったこともありましたね。立つ鳥後を濁さず、そうすることでお互いに気持ちよく、また次回も、ということに繋がるんだと思います。いつも言っている通り、我々は支援する側として訪問するのではなく、現地の方たちと一緒に食べ、笑い、同じ時間を共有することだけは大切にしてきたつもりです。瓦礫撤去や泥出しといった直接的な応援は出来ませんでしたが、一緒にいる時間だけでも楽しく過ごして戴き、自分たちも楽しませて戴いています。だからこそあすなろ応援便が今日まで長く活動出来ているんだと思うんです。長沼さんの言われた、「絆より繫がり」。この言葉の重さ・深さを改めて噛みしめ、本当に意義のある2日間を過ごせたことに現地で迎えて戴いた皆さん、そして参加して戴いた皆さんに心から感謝申し上げ、第46弾の活動報告とさせて戴きます。長文・乱文になりました事、この場を借りてお詫び申し上げます。写真にもそれぞれコメントを入れるべきところですが、どうか文章の流れから雰囲気だけでもお汲み取り下さい。最後までお読み戴き、誠に有難うございました。今後とも「あすなろ応援便」を宜しくお願い申し上げます。

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