東北での活動ではありませんが、4月2日(土)に四日市で既報の震災関連イベントを行いましたので、この場を借りて遅まきながらご報告申し上げます。
そもそも本来ならば3月に地元のイベントに東北応援コーナーとして参加する予定でした。その頃には第43弾が決まっていたので募金を集めたりもするつもりだったんですが、何せ震災から5年という節目の年で、何かあすなろとしても区切りになる行事をしたいと考えていました。とにかく当地では徐々に震災が風化しつつあることが否めません。5年を節目にもう一度思い返してもらいたい、そしていずれ起こるであろう南海トラフの大地震に対しての防災・減災意識を喚起することも重要だと思いました。と同時に、5年間の自分たちの活動を振り返ってみて何が残ったんだろう、と思い起こせば「人と人との繫がり」でした。物資募集を呼び掛けた頃、全く見ず知らずの方々からご協力戴き、その後実際にお会いした方も大勢いらっしゃいます。その中から現地の方を紹介して戴いて親しくなったり、他のボランティア団体の方たちと交流出来たり。いつも書いているように、震災は大きな被害をもたらしましたが、それがきっかけで自分としてはかけがえのない「人と人とのご縁」を戴きました。このことを何とか地元の皆さんにも知ってもらいたい、という想いから活動を通じて知り合った「仲間」に集まってもらい、それぞれの立場で想いを伝えてもらおう、そのためには単独でイベントを打たなければ思い通りに出来ない、というのが発端でした。そんな訳で、偶然会場が空いていた4月2日に決定した次第ですが、私の悪いクセで、思い付きで動いてしまったんです。毎年4月の第1土・日は「エキサイトバザール四日市」が開催され、これには毎年「東北応援ブース」を準備して戴いています。主に東北の物品販売やチャリティーゲームなどで出店しているんですが、会場予約をしてからそのことに気づき、相方と主催者には事情を話して土曜日は欠席させて戴きました。相方T氏が孤軍奮闘でビン玉ストラップや高田の昆布やワカメなどを販売して面目を保ってくれたのが何よりでした。
さてイベントですが、メインタイトルを「震災で繋がった絆 ~ 東北からのメッセージ」にしました。やはりこの手のイベント(講演会)には現地の被災体験者の話は欠かせない、という気持ちと先に述べた「繫がり」をアピールしたかったからです。タイトルが決まると例によって「あれもしたい、これも取り入れたい」と次々に願望が溢れ出します。何せ、「あすなろ応援便」はNPOでも社団法人でもなく、あくまで「個人ボランティア」の集まりで、知名度も後援組織も皆無です。そんな弱小団体が「主催」するんですから、まずはあすなろのPRをしなきゃ、それなら現地でどんなことをしているかも知ってもらいたいし、募金もお願いしたい。少しでもハクが付くように後援も然るべき所から取り付けたい、講演会だけじゃもったいないからチャリティーコンサートも入れたい・・・そんな調子です。地元の知人に声を掛け、形だけの打ち合わせ会議をやりましたが、やはり持つべきものは有力な協力者で、たった1回集まっただけで後援の取り付け、招待する来賓、講演会の内容など主だったものはそれぞれ割り振りが決まり、あとはそれに従って粛々と準備をするだけになりました。会場も200人ほど収容出来る立派な場所ですので、吊り下げ看板も必要だよな、と改めて「やっちまった・・・」と後悔はするものの、もうカウントダウンは始まっています。早速イベントの告知をフェイスブック(以下 FB)で呼び掛け、参加者の反応を日々見るも今ひとつ。何せ、春休みでもあり、当日はエキサイトバザールをはじめ、各種イベントがあちらこちらで開催されています。ただ、参加者の多い少ないよりは自分たちの5年間の活動の区切りと、来場者に防災意識を高めてもらうことが目的なんだと開き直り、チラシを作ったり電話で呼び掛けたりで地道に集客を進めることにしました。
そんな中、FBを見てご連絡戴いたのが新潟県村上市の鈴木さんでした。話せば長くなるんですが、3年前に一度ご縁があったきり、一度も直接お会いしたことも無いんですが、「何か協力することがあれば」という有難いお申し出でした。鈴木さんは「いわふね看板舎」という会社を経営されています。文字通り「看板」のプロですから、厚かましい私は何の躊躇することなく、ステージ用の横断幕をお願いさせて戴きました。(それも3枚!) 僅か数日後、丁寧に梱包された小包を開けると想像以上に見栄えのするものが出てきました。こちらからはタイトルをお伝えしただけで、デザイン等は全て鈴木社長にお任せだったんですが、自分がイメージしていたもの以上の横断幕を無償でご提供戴きました。改めてこの場で心より御礼申し上げる次第です。
イベント終了後になって、メインタイトルの横断幕をお願いすることを忘れていたというオチがあったのはここだけの話です。(#^^#)
横断幕3枚・・・今回のイベントは3部構成にしました。
第1部は「体験者が語る あの日、あの時」 これは釜石市から佐々木勇人君、四日市大学の学生で宮城県東松島市出身の北村君、四日市消防職員協議会会長の増田さんにパネラーとして登壇して戴き、発災時の様子を本人の体験から話してもらい、消防の立場からもコメントを戴くという趣旨でした。この手の話は1時間や2時間の持ち時間があっても語り尽すことは到底不可能です。来場者も長時間の講演を聴くのも辛いかな、という考えからパネルディスカッションに変更しました。コーディネーターをどうするか、という問題もありましたが、最終的には自分が「聞き手」として進行させて戴くことにしました。佐々木君・北村君の話は過去にも聴いており、彼らが伝えたい事はある程度解っていたつもりでしたし、「こう振ればこう答えてくれるだろう」という、何とも迷惑な安心感もありました。
やはり体験者の話というのは切羽詰まったものもあり、来場者も真剣に耳を傾けてくれていたと思います。こちらも聞きながら活動を始めた頃の現地の状況や住民の話などが思い返され、あらためて平常時からの防災対策の必要性を感じたものでした。機会があれば、是非ともこのような会場に足を運んで戴ければ、と思います。
第2部は、鳥取県米子市から新宮さんをお招きして「はるかのひまわり」に関する講演をして戴きました。ご存知の方も多いと思いますが、この話は「阪神大震災」に遡ります。神戸の自宅で家屋の下敷きで犠牲になった「はるかちゃん」。その遺体が発見された場所にヒマワリが咲き、ご家族や仲間、地域の皆さんがそのヒマワリから採れた種を配ってはるかちゃんのこと、震災があったことを語り継いでいこうと始まったのがきっかけです。聞き及びですので間違っていたらごめんなさい。その種がいつしか「復興のシンボル」になり、東日本大震災があった年、復興の応援として三陸に送られました。新宮さんはボランティアで行った南三陸の仮設住宅でこのヒマワリを見てその経緯に感動したそうです。当時、PTA役員や県PTA連盟などの要職に就いていたこともあり、米子でもはるかのひまわりを育てようと、三陸から戻ってすぐに神戸からひまわりの種を取り寄せて活動を始め、地元は勿論、今では全国にその輪を広げています。今回も来場者にと500袋の種をお持ちいただきました。この話に共感して戴き、災害を「教訓」として代々受け継がれていくことを願ってご多忙の中お呼びしたんです。先程の鈴木社長とのご縁も、3年前に彼女の主宰する「富士夢☆米子隊」が鳥取県の大山で復興支援コンサートを開催したことがきっかけでした。名古屋の行事に駆け付けて熱く事業内容を説明する姿に打たれて、ステージ用にとトラックを出したことが彼女とのご縁であり、そこから横断幕を依頼した鈴木社長をご紹介戴き、今回のイベントに繋がっています。
冒頭にも触れましたが、こんな形で様々な人と出会い、そこからまた新たな繫がりが広がりました。それぞれが境遇も職種も違います。ただ「被災地に想いを寄せる」という目的が同じだけで驚くようなスピードで人と人が繋がっていきました。よく活動報告書にも登場(?)してくれる佐々木君とのご縁も、当時は全く面識のない方からの1通のメールからでした。2011年の10月、釜石での配布会の窓口になって戴いたのがきっかけで、その後は釜石近辺でのイベント毎に協力して戴き、四日市にも毎年来てくれています。新宮さんとも知り合いで、昨年5月以来のご対面となりました。今回、事前に来場してくれるという連絡を戴いていた名古屋の大岩さん、岐阜の谷さん、横浜の小林さん、伊勢の遠藤さん・・・思いがけない顔ぶれに、さながら「同窓会」じゃないか、という温かな雰囲気に包まれ、それだけでも開催してよかったな、というのが率直な感想です。福井からも平木親子が駆けつけてくれたり、地元の方もお手伝いにきてくれたりで、皆さんには心から感謝申し上げます。何より嬉しかったのは偶然(?)大阪へ来ていた陸前高田の3人がサプライズ登場した時には柄にもなく涙腺崩壊。夕方には神奈川に行かなければならない、という過密なスケジュールの中に立ち寄って戴いたことにはただただ恐縮した次第です。やはりこうして感動と元気をもらっているからこそ活動が続けられるんだな、仲間って有難いな、とひしひし感じました。
さて、第3部は大船渡出身のシンガーソングライター、濱守栄子さんのトーク&ライブを開催しました。彼女は昨年10月に菰野町のアクアイグニス、四日市大学の大学祭にお呼びしたので今回が2度目の来四です。前回の失敗を踏まえ、今回は音響とMCをどうするかが課題でした。岩手の文化大使や三陸大船渡ふるさと大使でもある彼女に相応しいMCは・・・と思っていたら、四日市消防の水野さんが仲介してくれ、四日市観光大使を務める「マック中原」さんが協力してくれることになったんです。あの嘉門達夫氏に師事し、「Mack Style」というバンド活動の傍ら専門学校での講師、司会、ものまね、パーソナリティーと幅広く活動されていて、地元でも有名人です。あすなろの活動も知ってくれており、今回は音響スタッフも含めて完全ノーギャラという条件を呑んでのご協力でした。
当然濱守さんとは当日初対面であったんですが、震災当時の話や音楽活動に関して軽妙なトークで盛り上げてくれました。マックさんも毎年エキサイトバザールのメインステージで司会進行とステージを務めていたんですが、偶然今年は日曜日だけだったので、この日の参加が叶いました。こんな運に恵まれるのも「あすなろ」の特徴かも? とにかく約1時間ほどのライブも無事に終わりました。
第1部から第3部まで終えた後は来場者への「お楽しみ抽選会」を企画しました。前々週に岩手へ行った時に手作り小物やお菓子などを買って来て、それを賞品にしたんですが、ステージに引き続きマックさんと濱守さんに司会進行を、抽選役に佐々木君に協力してもらったんですが、もう一人会場を盛り上げてくれたのが、手伝いに来てくれたお母さんに付いてきた「たろう君」でした。物資の皿洗いも手伝ってくれた可愛い男の子で、この子から賞品を渡された来場者もニコニコ顔でした。
そしてもう一つ。当日は子供さんもいるだろうと、いつも東北でやっている「ゲームコーナー」も開設しました。あすなろの活動を知ってもらう一環として行ったものですが、どこへ行っても子供さんの笑顔は何より輝いています。見ているだけでこちらも笑顔になれるし、「今度はどこでやるの~?」と聞かれれば喜んでくれたんだな、って嬉しくなります。単純ですよね。
また機会があれば同じような防災・減災に絡めた行事も行いたいと思っています。奇しくも、このイベントが終わって10日ほどして、あの熊本の大震災が発生しました。来場者から「あの時に話を聞いて、いつ自分が被災するかわからんね。その時に慌てないようにしとかんと」と言われましたが、改めて平常時だからこそ防災・減災への取り組みが必要なんだと思いました。実際に、大災害が発生した時に平常心でいられる人は20%程度という統計があるそうです。この会場でも市の危機管理室が作成したマニュアルをお配りしましたが、恐らくマニュアルや「防災訓練」通りには動けないと思います。佐々木君が必ず話す「津波てんでんこ」。先ずは自分の命を最優先にして「生き延びる」ことを訴えています。東北でも津波の第一波と第二波の間に少し時間が空きました。取り残された人がいないか、自宅はどうなったかを見に戻った為に第二波に流されて犠牲になった方が相当数いらっしゃいました。津波警報が解除されるまでは絶対に海岸に近寄らない、個々が真っ先に高台へ逃げればいつかは再会できるから、ということを説いています。そう考えれば近所にどのような人がいるのか、避難時に介助が必要かどうか、どこへ避難するのか・・・と枚挙に暇がありません。それを考えるのは平常時でなければ出来ないんです。今は隣に何人住んでいるのかさえ知らないという世帯が増えています。近所付き合いも、地域の行事も参加者が減り、段々と「地域の繫がり」が無くなって来ています。自分に置き換えても考えさせられるもので、自治体で行うドブ掃除からでも積極的に参加してお互い顔見知りになっていざという時に助け合える環境にしていかなくちゃ、という想いを新たにしました。
最後になりましたが、このイベントにご協力戴いた皆様、ご来場戴いた皆様、本当にありがとうございました。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
素晴らしい横断幕でしたね。大勢の人との繋がり、ご縁を感じました。樋口社長は、人を引き付ける力をお持ちなんですね。「たろうくん」ご苦労様でした。日頃から 防災、減災について考えることがいかに大切か身に染みました。