あれから4年・・・そして5年目へ

あすなろ応援便が活動を開始したのも、このブログを始めたのも全ては4年前の東日本大震災がきっかけでした。

発災直後に燃料の輸送依頼を受け、後先考えずに飛び出して宮城県大崎市に行き、その帰りに沿岸部へ回った際に目の当たりにした想像を絶する地獄絵図。道路の両側に山積みになった震災廃棄物、屋根の上に置き去られた乗用車・・・。ここは本当に現実の世界なのか、と我が目を疑いました。

何か自分に出来ることはないだろうか、そんな思いから初めてインターネットの操作を教えてもらい、Yahooの掲示板に辿り着き、見よう見まねで物資の募集を呼び掛けたものでした。何も考えず、個人情報などなんのその、実名で住所や電話番号、メールアドレスまで公開し、今となっては随分無茶なことをしたものです。

最初は3~5人の物資提供者から始まり、回を重ねる毎にその協力者が増えることが喜びでもあり、活動の支えでした。1回活動を終えると物資をご提供戴いた方に「活動報告書」を作り、現地の様子や募集する物資の呼び掛け、そして自分の想いを文章にしてお送りしました。これはお送り戴いた物資をどこへ、どんな風に運んだか、現地の方の反応はどうだったか、ということをお伝えすると共に自分自身の記録にしていました。このペーパー版活動報告書は第20弾まで続き、1回あたりA4サイズで約10枚。発送先は最終247名に上りました。パソコンで作成し、写真も取り入れたのでカラー印刷をし、封筒の宛名はせめて自筆で、と拙い字で書かせて戴きましたが何せ時間と経費の負担が大きく、メンバーのT君、Ⅰさんのご指導を戴いて現在のインターネットによる活動報告書になりました。それも回を重ねて39回となり、それ以外にもブログやフェイスブックを駆使して、仕事とボランティアとどちらが本業か解らない程取り組み、東北に没頭した4年間でした。

4年目という節目を迎えるにあたり、マスコミ各社はここぞとばかりに特番を組んで「被災地は今・・・」と躍起になっています。過去の活動報告書を読み返しているとそんなマスコミの対応に苦言を呈していることもありました。あすなろのメンバーは実際に現地で見て聞いて、肌で感じています。報道されない事実というものを知っています。だから、「仮設住宅はかなり老朽化している」だとか「復興はまだまだ」なんて聞いても今更何言っとるんや、お前ら自分で現地に足運んだことあるんか、とTVに向かって毒づいています。選挙前だけ復興を加速させる、とお題目のように唱える政治家、仮設住宅を訪問したと言いながら集会所で予め選んだ住民だけをシナリオ通りに喋らせて仮設住宅そのものに足すら踏み入れなかった高級官僚と呼ばれる人種がいたことを実際に聞いているんですから・・・。

先日、ラグビーのワールドカップ開催地の一つに釜石市が選ばれました。元々、新日鉄釜石という強豪チームがあった地ですから選ばれるのは当然でしょうし、これが復興の起爆剤となる、と喜ばれる方もいらっしゃると思います。しかし、実際には喜びの反面、これから4年間でどこまで復興が加速するのか、ワールドカップよりも先に復興住宅の建設が先なんじゃないか、といった声が聞こえて来るのも事実です。陸前高田でも旧市街地を嵩上げして新たな街を作る工事を行っていますが12mもの盛り土をする工事が終わるのがまだ3年先だと言われています。それから街づくりをするんでしょうが、果たしてどれだけの住民が留まっているんでしょう。4年に及ぶ仮設住宅での暮らしがまだこの先何年も続くことに耐えられるのでしょうか?皆さんもご周知の通り、もともと東北は人口の過疎化が進んでおり、高齢者の比率も高いところです。とりわけ福島では原発事故を受け、若い世代は県外へ避難、或いは移住しています。実際に訪れた仮設住宅では65歳以上の高齢者世帯だけ、というところがありました。「もう生きているうちには自宅へ帰れない。ここで一生を終ることに覚悟を決めたよ」と淋しそうに話されたおじいちゃんの言葉が脳裏から離れません。石巻でも、1階が被災した住宅の2階に4年近く住み続けている「在宅被災者」とお話ししました。「区画整理で立ち退きになるかもしれないから修理も出来ないし、だからと言って今更仮設住宅にも入りたくない。家を新築移転するにも、この家がどうなるか決まらないことにはどうしようもないけど、その話すら止まったまんまだ。」 この方は、見舞い金(?)として500万円ほど受け取ったそうですが、風呂とトイレを直しただけで殆ど使ってしまったそうです。被災地では人手不足・資材不足という理由で工事費が高騰し、工期もいつになるか解らないといいます。震災特需に暗躍している輩もいますし、震災弱者の弱みに付け込んで私腹を肥やす不埒者もいるんです。マスコミが被災地報道を行うのは年に1度、3月11日前後ですが、被災地では365日不安と苦労に向き合っているんです。オリンピックもワールドカップも悪い事とは言いません。東北の子供たちの中にもその夢舞台に立つ子が出るかもしれません。ただ、やはり事の優先順位だけははっきりしてもらいたいと思うんです。4年後の釜石に立派なホテルが立ち並ぶ傍らに仮設住宅が残っている、なんて光景は想像もしたくないです。一人一人の力なんて無に近いかもしれませんが、それが集まれば大きな力になるはずです。そんな想いで微力でも継続すること、一人でも仲間・賛同者を増やしていくことが5年目のあすなろの目標です。

実は、数日前に地元のケーブルテレビの取材を受けました。自分が映るのは恥ずかしいので敢えて好評しませんでしたが、5時間近くの収録から編集されてオンエアされるのは約4分ほどと聞いています。色々話をさせて戴きましたが、どの部分が使われたのかさえ知りません。数日すればインターネットでも見られるそうですので、もしご関心を戴けるならご覧下さい。CTY(ケーブルテレビ四日市)です。

明日からはまた震災関連の報道は激減するでしょうが、どうかこの忌まわしい記憶を風化させず、後世への教訓として行きたいものです。

今回は乱文をお読み戴き有難うございました。事実と異なる点が有るかも知れませんが、今の私の心情を吐露したつもりです。また次回のブログは楽しいものにさせて戴きます。

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