2015年 あすなろ始動!

2015年も早一ヶ月が過ぎ、今日は節分ですね。1月4日に新年のご挨拶をして以来、丸1ヶ月もブログを放置してしまいました。

昨年末にトラックに追突され、新年早々母親が救急搬送されたことは既報の通りですが、その後僅かひと月の間に色々ありました。

こともあろうに、頑丈だけが取り柄の私がインフルエンザに罹ってしまったんです。年始早々、広島・松江へ運行した後に米子で「富士夢米子隊」のリーダー、SさんとそのメンバーのKさんにお会いすることが出来て、夕食を済ませた後近くの「皆生温泉」にある日帰り温泉を紹介して戴き、疲れを癒して三重に戻り、翌日は雨の中現場卸しで約2時間濡れたまま待機し、どうやらこれが引き金になったようで、その週末は当社初の試みで近くの湯の山温泉で泊りがけの新年会。この日はあっという間に20cmほどの積雪という寒い日でした。少しだるさを感じながらも帰宅して、その夜寒気で目が覚め、念の為に体温を測ったら38℃を超えています。ありゃ、風邪引いたな、程度で月曜日はいつも通り出社。なかなか止まらない咳と悪寒に耐えられず午後から内科へ掛け込み、「A型ですね。」の一言で社員からは帰れコール。ひどいヤツは「社員に移ったら大変だから会社のため、世の為、人の為に出社しないで下さい」とのたまいます。会社にためは判るけど、その後は何なんや!と悪態を吐きながらも渋々帰宅。5日は休めとお医者様からも言われたんですが、家に着くなり少し熱も下がり、別に休む程でもないじゃん、とひたすら時間を持て余していました。結局、取り引き先や会社からの事務連絡が携帯電話にバンバン入ってくるので完全に休もうと初めて電源OFF。結局、4日間静養させてもらって職場復帰を果たしました。

週明けの月曜日(26日)、今度は母親の様子がおかしいと出勤前に部屋を覗いた家内から電話。正月早々のこともあり、恐らく血糖値が上がって意識が朦朧としていたんだと思いましたが、暫くして会話も出来るようになり、「もう大丈夫」という声を聞いて通常通りの業務をこなしていたんですが、午後3時過ぎに外出から帰った娘が様子を見に行ったら「息はしとるけど呼び掛けても反応が無い」と緊急連絡。こちらも荷物の積込み中ですぐに帰れないため、毛布を掛けて体温を下げないように頼み、会社にいる家内にすぐ戻る様連絡し、救急搬送後2時間ほど経ってようやく病院へ掛け込みました。

いつも申し上げている通り、私は筋金入りの病院嫌いで通院は勿論、見舞いに行くのも苦手なんです。それなのに案内されたのは救急救命センターの特に症状のひどい患者さんが手当を受けている一角で、ベッドに横たわった母親には酸素吸入のチューブや点滴の管、血圧やら心電図やらの測定器から伸びた様々な器具やチューブが取り付けられていました。この時点で血圧は60/40、相当低下しており、既に一度心配停止状態だったのが強心剤の投滴で少し持ち直し、人口呼吸で肺を動かしている、という状況でした。何とか血圧が上がってこないかと計器を睨み続けていましたが、担当医から「非常に厳しい状況」であることを告げられ、搬入時の血糖値は何と900もあったとのこと。正月に倒れた時も横浜から弟や孫が帰って来ていたので嬉しさのあまり食べ過ぎて血糖値が急上昇したのが原因でした。「必要な方に連絡を」と看護士さんから言われた時は来るべき時が来たか、と覚悟を決めました。いつも出張が多い三男も、たまたま愛知県に出張していたとのことでそのまま病院へ駆け付けてくれましたが、次男はどうしても仕事の都合で明日になる、との返事。徐々に弱まって行く数値を見ながら不謹慎にも遺影の写真はどれにしよう、葬儀はどうしよう、会社のことはどうしよう、と最悪の事態に向けて心の中で段取りをしている自分がいました。その間にも2度目の心肺停止が数分間あり、心臓マッサージなどの施術により再び持ち直したものの、担当医からは「今度心配停止になったら諦めて下さい。心臓マッサージも本人の負担が相当大きく、このまま延命治療を続けるかどうかを決めて欲しい」旨の話がありました。せめて人工呼吸であれ心臓が動いているうちに次男にも会わせてやりたい、との想いから引き続き延命治療の継続をお願いし、後ろ髪を引かれる思いで深夜に病院を後にしました。翌日は愛知県豊川市までの輸送業務があったので指定時間より早めに現地へ入り、荷受人さんに事情を説明してすぐに荷物を受け取ってもらいダッシュで帰社、その足で病院へ向かいました。昼前に次男も到着、親戚も何人か来てくれていました。担当医に呼ばれてカンファレンス室へ。夜中にやはり3度目の心肺停止があったようですが、この時点では血糖値も少し下がり、弱いながらも自発的に呼吸をしていること、血圧も80まで上がって来たとの診断結果を聞きました。但し、心肺停止の時に脳に血液が回っていないから意識障害などの後遺症か、意識が戻らない可能性もある、と言われ、神経の細かい弟たちは不安を駆り立てられていたことだと思います。せめてもう一度だけでも会話が出来たら、と願いましたがその願いを神様が聞き届けて下さったのか、夕方になって意識が戻り、呼吸器を付けているため言葉は発せませんでしたがこちらの呼び掛けに頷いたり手を動かしたり出来るまでになりました。翌日には血圧も120まで戻り、土気色だった表情にも赤みがさして来ました。「何とか最悪の事態は回避しました」という看護士さんの言葉に安堵しながらも、もし延命治療を断念していたらどうなっていたんだろう、と複雑な心境でした。次男が遅れてくれたから延命出来たのかもしれませんね。今はすっかり容態も落ち着き、一般病棟に移って食事も出来るまでに回復しました。心肺された意識もしっかりしており、普通に会話も出来る状態です。なるべくオープンにしないよう「緘口令」を布いていたんですが、何人かの方からご心配の連絡を戴きました。本当にありがとうございました。

さて、そんな状態でしたので今年はまだあすなろの計画は殆ど出来ていません。しかし、前回ご報告した通り、3月1日に開催される「梅まつり」は予定通り参加することになりました。母親の病状にも依りますが、今の状態であれば今月半ばには退院出来るようですし、逆に梅まつりを楽しみにしているようですので・・・。

今年は「あすなろ」が東北で行っている活動をそのまま地元の人に知ってもらうのが一番の目的です。振舞いやゲームをすることで現地の人達とどう接しているのか、現地の手作り品などにはどんな想いが込められているのかを少しでも理解してもらい、まだ復興はしていないんだということを感じてもらおうと思っています。たまたま社員でバンドをやっている者がおり、彼らがトラックのステージで音楽演奏をしてくれます。報告書でご紹介したトランポリンやゲームコーナー、チャリティーバザーもします。そして東北の物品販売。釜石のminiビン玉ストラップ、陸前高田の板昆布やおつまみワカメ、女川町の秋刀魚サブレや銀鮭フレーク、手作り小物などの販売、そして調達出来れば亘理の「仙台いちご」をPRしたいと思っています。イベントの主体は「梅まつり」ですが、我々は梅まつりではなく純粋に「東北応援イベント」を展開します。それが条件で出店要請を受けたんですから、本部役員から主旨が違うとか物言いがついても構いません。来場者を全て我々のイベントコーナーに呼び集めるという気持ちで臨みます。イベントの様子はまたご報告しますが、まだまだボランティアスタッフを募集しています。現地に行きたいけれど行けない方、あすなろの活動に関心をもって戴く方、何らかの形で東北の応援をしたい方なら老若男女を問いません。気軽な気持ちでお手伝い戴ければ何よりです。まだまだ東北に寄り添って行きたいと真剣に思っている仲間の今年最初の活動に是非ご協力下さい。

因みにお手伝い戴くのは下記の内容です。

・振舞いコーナー  「焼きはまぐり」を予定、接客(のような)サービスのスタッフ                                       

・ゲームコーナー  トランポリンや子供さん向けのゲームを担当するスタッフ

・物品販売      東北から取り寄せた物品の販売スタッフ

・写真撮影、記録スタッフ

時間は午前8時集合、10時開会、14時閉会の予定です。(簡単な昼食は用意させて戴きます。

お問い合わせ・ご参加の申し込みは hiro-yotsuun@docomo.ne.jp 又は

dolphine0913@yahoo.co.jp 樋口博也宛にメールでお願い申し上げます。追って詳細をご連絡申し上げます。

尚、甚だ恐縮ではございますがあすなろ応援便では東北への応援に充当するため、募金の受け付けもさせて戴いております。お寄せ戴いたご篤志は全て東北への消耗品の購入やイベントに要する経費(振舞いの食材、子供たちへのお菓子やおもちゃなど)に充当させて戴きます。何卒宜しくお願い申し上げます。

  ゆうちょ銀行 店名二二八 店番228 普通預金 口座番号2871325

   口座名義 あすなろ応援便

何卒ご理解・ご協力の程、衷心よりお願い申し上げます。

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