みちのく一人旅のご報告

12月に入りました。昨日あたりから急に寒波が入って日本海沿岸部をはじめ、あちらこちらで積雪の情報が飛び込んで来ます。我々の業界はこれからのひと月が最も忙しくなる時期ですが、同時に「クリスマス寒波」とも戦わなければなりません。毎年何らかの影響があり大渋滞に巻き込まれたり到着する荷物が大幅に遅れたり、商品の到着を心待ちされている方にもご迷惑をお掛けする時期になりました。39弾以降、次はいつどこへ、と検討するも中々年末の慌ただしさに流され、年内には東北へ行けないかな、なんて思っていました。しかし、念ずれば想いは通じるもので、前回のブログにも書きました通り運良く福島への輸送依頼が入り、しかも納品は日曜日でも祝日でも構わない、と願ったり叶ったりの依頼でした。このチャンスを逃したら年内には行けないかも、という想いから仕事を兼ねての東北行きとなった次第です。

今回の納品先は福島県福島市。二本松インターから東へ20kmの所でした。午前中に到着・納品する予定でしたが途中東北道で事故渋滞にはまったり、連休で行楽客の車が多かったりで11時過ぎに到着。すぐに荷卸しと来年の簡単な打ち合わせを済ませてここからはプライベートです。

この仕事が決まった時、当然のことながら何処へ訪問しようか、と悩みました。一番近いのは二本松の真行寺さん。しかも、出発直前に河芸町のFさんから「庭で出来たから」と立派なレモンをダンボール一杯届けて戴きました。倉庫の中には各地からお寄せ戴いた消耗品や雑貨類、ボランティアさんが仕分けしてくれた冬物コートなど、そして桑名市のTさんが毎日のように当社へ足を運び、錆を落としたり塗装したりと新品のように手直ししてくれたスチール棚8本、これまた磨き上げてもらった愛媛からのストーブ(6~7台)が出番はまだか!とばかりに鎮座しています。いろいろと考えあぐねた結果、無謀にも目的地を岩手県釜石市に決めました。ここは3月に2度、9月だったかに1度お邪魔しており、平素はフェイスブックで繋がらせて戴いています。当初はリサイクルショップとして立ち上げ、今年の5月頃に本業だった居酒屋を再興する予定だったそうですが嵩上げのための移転などで遅れ、ようやく開店の目途が立ったことを伺っていました。居酒屋さんならレモンは絶対使われるだろうし、ラックや炊飯器のことも事前に確認してお送りするつもりだったので出発の数日前に連絡し、日曜日の午後に伺う約束をさせて戴きました。

福島は昼過ぎに出発したんですが、東北道で花巻JCTへ向かい、そこから釜石道を走って遠野市、そこから釜石市鵜住居までトータル300km弱の行程です。結局、ノンストップで走ったものの現地にはすっかり暗くなった午後5時過ぎの到着でした。

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お店ではNさんとNさんのお姉さん夫婦が待っていて下さり、程無くして仲間の漁師さんが応援に駆け付けてくれました。前日に店内も片付き、もういつでも開店出来るぞ、という状態の所へたくさんの物資を持ち込んだので、さぞかし翌日からの後片付けが大変だっただろうと反省しています。この物資の中には四日市市水沢町のSさんがお届け下さったバザー品や炊飯器、千葉県市川市のNさんからお送り戴いたものがあり、絶好のタイミングだったと思います。この「絆 釜石」さんは単なる「居酒屋」じゃないんです。ご存じの方も多いと思いますがこの鵜住居という場所は津波で大きな被害が出た場所で、このお店の周囲は殆ど建物らしきものはありません。少し山側に行けば住宅や我々も過去に訪問した仮設住宅もありますが、「人が集える場所」は皆無に等しいような土地柄です。普段、時間を持て余している高齢者や地域の人達の安らげる場所を提供したい、というNさんの想いでカラオケを導入し、昼間はカラオケを楽しんだり雑談したり出来るスペースに、夜は居酒屋として営業する傍らで物資を配ったりと地域再興のために尽力されているんです。11月の29日に開店予定と聞き、正に滑り込みのタイミングでしたが少しでもお役に立てたのなら幸いです。

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物資の搬入後に夕食を戴いたり雑談をしたり、漁師さんの美声を聴かせてもらったりと長旅の疲れも吹き飛ぶ楽しい時間を過ごさせて戴きました。お姉さまのご主人は油絵を描かれているそうで、油絵協会(?)の会長さんだとか。その席で、「三重の油絵サークルのような団体を紹介して欲しい、油絵を通じて交流をしたい」とのお話しを戴きました。震災後、支援してもらったお礼を兼ねてとのことですので、何とか橋渡しが出来ればと思います。しかし残念ながらその方面には全く縁の無い私です。これを読んで戴いてる方でもし油絵を描かれている方をご存じでしたらお教え下さい。

さて、釜石を後にし今夜の寝場所へ。翌朝に陸前高田で栃木県真岡市から仕事で来られているK社長と待ち合わせているので、ちょうど大船渡と陸前高田の間にあるスーパー銭湯で身体を温め、トラックの中に戻って10分もしないうちに夢の中へ。こんな時に一人だと気楽ですね。

さて翌朝8時過ぎ、陸前高田の未来商店街の駐車場でK社長と久し振りの対面。すぐ近くに夏まつりでお世話になった滝の里仮設住宅があります。駐車場でK社長と来年の仕事に繋がるお話しを戴き、別れ際には「あすなろの活動資金に」と多額の寄付金まで戴きました。思いがけない展開に驚くやら恐縮するやら! K社長も元々釜石のご出身だとは聞いていたので今回の「電撃訪問」を歓迎して戴けたのかな、と勝手に解釈しています。元を辿れば釜石の「勇人君」から始まった繋がりなんですが、本当に素晴らしいご縁が広がっていると感謝しています。

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K社長とも別れ、トラックを走り馴れた45号線へ向かわせます。3年半前に見た陸前高田の中心部、現在はすっかり様変わりしています。山を削って土を運ぶベルトコンベアが延々と伸び、ダンプカーが砂を巻き上げて走り回っています。まだ盛り土が終わるには2年程、それから街造りが始まるとのことで、これから4度目の厳しい冬を迎える仮設住宅の方々はこの景色を見てどう思われているんでしょう。復興住宅も少しずつ出来てはいるようですが、全ての住民が仮設を出られるのはまだまだ先になるようです。

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何度も見た気仙中学校の校舎も全く変わっていません。震災遺構として残すのかもしれませんが、当事者でない自分が見ても未だに胸が締め付けられます。あの「奇跡の一本松」もコンベアなどのために存在すら薄れているように感じます。

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トラックはそのまま南下して南三陸町へ入りました。ここも盛り土が盛んに行われていますが、あの防災庁舎もそのまま残っていますし、津波で寸断された線路の橋脚もずっと放置されています。志津川の海はあまりにも穏やかで、海面を見ている限りはのどかな気分になりますが・・・。

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さて、ここまで来たからにはもうひとっ走り、宮城県亘理町へと向かいます。水沢のSさんから預かった物資の中にお菓子がたくさんあったんです。どこへお渡ししようかと考えていたんですが、以前夏まつりを開催した亘理町の吉田保育所が来年度には幼稚園が完成して分散するために無くなってしまうそうです。それで、学習発表会かクリスマス会に提供出来れば、と亘理のSさんにお願いし、吉田保育所へ届けて戴くことになりました。閉園後は町の施設として使われるそうですが、園児達はそれぞれの地域の幼稚園や保育所へ離れ離れになってしまいます。みんなで過ごせる最後のクリスマス会で喜んでもらえたら、という想いでした。もう一つの目的、言うまでもなくイチゴです。とうとう花が咲いたという知らせは聞いていたんですが、やはりこの目で確かめずにはいられませんでした。「2時半ころ着きますよ」と連絡を入れていたんですが、2時少し過ぎには到着。子供さんたちは既に外で待っていてくれました。すぐにビニールハウスに案内され、扉を開けた瞬間に思わず目頭が熱くなりました。花も確かに付いていますが、青々とした葉の下にイチゴの実が成っていたんです。まだ小さいものが多かったですが中には立派なものもあり、よく見るとうっすらと赤みを帯びています。とうとうここまで来たんだ、と感無量でした。被災した年から海水に浸かった土と向き合い、来る日も来る日も塩分濃度を下げるために水を掛け、多額の借金をしてビニールハウスを建て、2年間野菜を育ててイチゴに適した土に戻ったんじゃないか、と試験的に植えた苗が見事に育ちました。ハウス内では受粉(交配)させるために取り寄せたミツバチが飛び交っています。苗に害虫が付かないようにと色々工夫も施されています。無農薬で育てているため、聞いた以上のご苦労があったと思いますが、イチゴを見ながら満足そうな、そして誇らしげなお父さんの表情が最高に輝いて見えました。既に来年用の苗も仕入れてあり、「これでイチゴは復活させられる」というお父さんの自信の表れだと思います。今度お邪魔する時はハウス一面に赤くなったイチゴが見られるかと思うと今からワクワクしています。Sさんご一家と一緒に過ごしてきたような4年近く、長いようで短いようなヘンな感覚ですが一つの地場産業の復活に立ち会えたこと、恐らく生涯忘れることは無いと思います。お母さんたちとも、イチゴが本格化したらスイーツの店やイチゴの売店したら?という楽しい空想や、イチゴ狩り&郷土料理のツアーを組んでみましょうか?なんて話もしました。案外、実現するかもしれませんね。常磐道も12月6日に南相馬~山元間が開通します。アクセスも徐々に良くなって来ているので、これが地域の復興の弾みになれば、と願って止みません。

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今日12月2日、衆議院議員の選挙の公示がされました。復興対策を最優先に、とか生活を豊かに、とかどの政党・候補者も理想を掲げています。あくまでも個人的な考えですが、領海侵犯をして密漁をするような国、事あるごとに日本を敵対視する国に何百億円もの援助をする必要があるんでしょうか?私もかつて(今でもですが)、阪神大震災の時は会社の状況が思わしくなかったので今のようなボランティアは出来ませんでした。自分が苦しんでいるのにいい格好なんて出来ませんでした。東北の復興も漸く始まったようなもので、まだまだ工事も遅れ、生活に苦しんでいる方は大勢います。長野の御嶽山、熊本の阿蘇山、そして蔵王も噴火の可能性があると言われ、自然災害に対する予算も十分でないと聞きます。今回の選挙でも国費として600億円以上の税金が使われます。海外援助も必要なのか知れませんが、まずは自国を守ること、国民の生活を守ることが最優先じゃないんでしょうか?本来国の将来を決める大切な会議ではお互いの足の引っ張り合い、審議中に居眠りする議員の多いこと、選挙の時だけ出来もしない公約を声高に叫ぶ候補者・・・。これでは政治に対して関心が薄れることは当然ですし、期待も出来なくて当たり前だと思います。有能でも無能でも多額の給与が補償されるんですから議員バッジを付けたい人は後を絶たないでしょうが、ここは我々国民が正当な審判を下すべきだと思います。「政治屋」にはいくら期待してもダメなんです。俳優の高倉健さん、菅原文太さんが相次いで鬼籍に入られました。良く、宮城の山元町で「復興の黄色いハンカチ」の話を聞きますが、高倉さんの「幸福の黄色いハンカチ」に重ねていました。菅原さんは主演が決まっていた映画への出演を東日本大震災を受けて辞退し、その映画の監督である山田洋次さんを裏切ったからと俳優を引退しました。(と聞きました) 菅原さんは仙台出身ということもあって被災地訪問、被災地支援にはかなりの情熱を注いでいたそうです。その潔さには今更ながら感服します。もし、そんな潔い政治家が現れたなら日本ももっと良くなるでしょうね。金と利権に没頭するような輩には間違っても票を入れたくないものです。折角与えられた投票権、皆さん有効に活用しましょう!

さて、訳の解らないボヤキになってしまいましたが今年も残す所あと僅かです。皆様それぞれに慌ただしい日々を過ごされることでしょうが、何とか無事に年を越せるようお祈りしております。年内、あすなろとして活動出来るかどうかは解りませんが、これで終わる訳ではありません。内容は変わっても、また引き続き継続していくことになると思います。第40弾の企画を練りつつ、取り敢えずは繁忙期を迎える本業に最大限の力を注ぎたいと思います。今後も忘れられない程度にブログも更新しますので、何卒応援して下さい。以上、「あすなろ番外編」のご報告とさせて戴きます。

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みちのく一人旅のご報告 への1件のフィードバック

  1. 富士市のTです。 のコメント:

    樋口さんこんにちは。ご無沙汰してます。

    仕事をし始めて忙しくなり、なかなかブログを読む余裕がなかったのですが、

    昨日うちの旦那さんがぽつりと、「樋口さん、年内もう一度くらい行けるのかな?

    何かクリスマスっぽいものとか送る?」などと突然言い出しまして、慌ててブログを

    チェックしました(^_^;)

    本業もお忙しいですもんね。もし行くなら、また何かご協力できればと思いました。

    急に昨日から寒くなってきたので、風邪などひかぬようお互い気をつけましょう♪

    またこまめにブログを見させてもらいますね!

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