先日応援物資の仕分けを手伝ってもらい、第38弾はどこへ訪問させて戴こうかな、などと考えていたら、いつもお世話になっているY運送さんから「宮城行きの荷物あるけどトラック出せへん?」といった連絡を戴きました。その少し前にインターネットで見た、という運送会社からも「岩手へよく行かれているのを知って・・・」と輸送依頼を戴きました。8月は行く予定がなかったので、運賃貰えて東北へ行けるなら、と軽く返事をし、宮城は私、岩手は当社のⅠ君で行くことになりました。納入日が9月11日と12日に分かれていたので、あわよくば大型1台で積んで行こうかとも思ったのですが、荷物の都合上1台では載らないことが判明し、別々の運行となりました。
私が宮城を選んだ理由・・・8月末に大工のM君から預かり物があったんです。以前ご紹介した女川町の「手作り屋まんちゃん」ことSさんに着物や布地をダンボール7~8個分。これは、前にご提供戴いた方がまんちゃんの作った手提げバックとポーチに感激(?)し、また使って欲しい、と託されたものでした。M君にはいつ持って行けるかわからんよ、と言いながらそのチャンスを狙っていた時にこの宮城行きの話だったんです。提供者の気持ちを考えれば少しでも早くお届けしたかったので、先方には連絡を入れず、とりあえずトラックに積んでいくことにしました。
このような着物生地から下の写真の物が出来上がりました!
まんちゃんとは愛媛の「ウグイスの会」のK代表からご紹介戴き、その後既に6度もお会いしています。3月にも報告させて戴いたように「アルミ箱」をお届けしたり、本業の「銀鮭」の養殖生簀を見せてもらったりと厚かましくお邪魔しております。今回、仕事で行くのが宮城県多賀城市の自衛隊基地。そこから女川町のSさん宅まで約70km。昼頃には行けるだろう、と相変わらずの無計画ぶり発揮です。
多賀城の自衛隊基地の中にある「燃料補給支処」なるところが納品先でしたが、基地内で何と射撃訓練の真っ最中でした。もちろん空砲なんでしょうが、実物の機関銃やライフル、バズーカ砲のような銃器が白煙を上げている光景と銃声を目の当たりにし、間違ってもこれが実戦にならないことを祈るばかりです。流石に写真は控えましたが、ここだけは特別な緊張感を感じました。
この日(11日)の深夜から未明に掛け、石巻近辺ではゲリラ豪雨と突風により市内でも浸水被害があり、東松島の自衛隊基地では作業小屋が突風で吹き飛ばされたり木がなぎ倒されたりしていました。土砂崩れも発生したようで、TVでも仮設住宅や市街地の様子が映し出されていました。先日の広島や福知山・丹波市といい、本当に異常気象が続いています。どうか皆様のところに災害が起きませんように・・・。
さて、荷卸し後Sさん宅へ。すっかり馴染みになった峠道は至る所で復旧工事が行われていました。指ヶ浜の漁港には3月にお届けしたアルミ箱がしっかりと役目を果たしていました。自分達が運んだものにまた出会えるのは何とも嬉しいものです。
写真右下が震災前にSさん宅があった場所です。いまだ被災時のままですが、現在すぐ近くの山の上を造成し、来年には仮設住宅を出て引っ越し出来そうだ、と伺いました。
この青いコンテナはご主人様の仕事場です。中には漁具や冷凍庫などが一杯入っています。「まんちゃん」の作業場は仮設住宅の中ですのでお間違いなく。M君、お預かりした着物や手紙、間違いなくお渡ししましたよー!一緒に添えられていた手紙を読んで、連絡先が解ったから御礼の電話しますね、とのことです。
まんちゃん、今回お届けした布地で「綿入り半纏」作ってみようかな?と言われてました。従来のポーチなども注文が多くて現在在庫もないほどの人気ぶりですが、更に新商品となれば益々楽しみです。もし、このブログでも「手作り屋まんちゃん」の販売のお手伝いが出来れば、と申し出たところ、快くご了解戴きましたので、今後当方へお預かりした手作り小物をアップさせて戴けると思います。是非ともお楽しみに!
帰り道、女川漁港など中心部の写真も撮ってきました。震災遺構として残されていた横転した建物も嵩上げ工事の支障になるからと1棟は取り壊したようです。まだまだ完成まで時間がかかりそうな雰囲気ですが、またこの地に住民が戻って来る日が早くくることを祈りました。奇しくもこの日は発災後3年半の月命日だったんです。今まで月命日だけは避けて来たんですが、これも何かの運命的な事だったかも知れませんね。
この後、宮城に来たら何故か立寄りたくなるのが亘理のSさん宅。しかもこの時期はすっかり大好物になった「ハラコ飯」の時期でもあります。震災の年に初めてご馳走になり、早くも4度目のシーズン到来です。ちょっと顔を出すだけだから、とは言ったものの、内心は「もしかすると・・・?」という下心丸見え状態だったことは告白しておきます。案の定、お母さんが用意してくれていました!晩御飯としてだけではなく、道中にでも、と「お持ち帰り」の分まで頂戴してしまいました。流石に疲れもあって、帰社途中の東名高速/由比PA(東名で一番好きな場所です)で真っ青な駿河湾を見ながら大好物のハラコ飯を戴くという贅沢な朝食で大満足の番外編となりました。
実は、Sさん宅では長らく配布会をしていませんでした。個人宅で震災後も生活されていたため、行政からの物資支援は全く無く、数件だけ残った個人宅の住民の皆さんの窓口としてあすなろを受け入れて戴き、配布会の度に近隣の住民に声を掛けて戴いたんですが、心無い人から「あそこだけ物資が来ている」とか「支援長者」などという嫌みとも嫉みとも取られるご迷惑をお掛けしていました。それでも、我々もSさん一家の苦労や、住民のためにずっと尽力されていたことを実際に見て来ています。最近、ようやく近所の住民が少しずつ戻ってきたことと、依然として切り詰めた生活で日用品にも困っている人々の話を伺い、また庭先をお借りして配布会をさせて戴くことになりました。
また、10月は福島県郡山市で開催されるB級グルメの全国大会、B-1グランプリに「四日市とんてき協会」様のイベント資材などを運ばせて戴くことになり、それに合わせて「ウグイスの会」K代表からご紹介戴いた若いお母さんたちのグループの元へ伺うことが決まりました。それぞれ詳細に関してや募集物資の内容は改めてご報告させて戴きます。まだまだ私共が思ってもいないような苦労をされている方々がいらっしゃいます。どうか今後ともご支援・ご声援を戴きます様、心よりお願い申し上げます。