活動報告の続編が遅くなって申し訳ありません。月末月初の繁忙期を乗り越え、8月に入ってからも1日に楽器運搬、2日に埼玉へ急遽出撃、3日に楽器運搬と地元の祭りへの参加と慌ただしく過ごしており、漸く取りかかれました。
名取の夏まつりでは予想以上の笑顔に包まれ、本当に楽しい時間を過ごさせて戴きました。写真でお気付きの方もいらっしゃったでしょうが、ステージにしたトラックの正面に水沢町の安田製茶様からご提供戴いた百日草とベゴニアを飾りました。その数約300鉢!終了と共に自治会長さんに託そうと思っていたんですが、住民の方から是非とも、というリクエストを戴き、全てお持ち帰り戴きました。丁度愛媛から戴いた植木鉢もたくさんあったので、それで自室に飾るんだ、とニコニコ顔でした。その花を乗せていた階段状の棚や休憩場所にと設置した縁台やベンチ、これは当社に入って来たコンテナの中で製品を押さえるために使われていた木材を利用して当社の誇る料理長Mさんが手作りで作ってくれたものです。これも、後日仮設住宅で使いたいとの希望があり、全て寄贈して来ました。開梱して不要になった「廃材」がこうして生まれ変わって再利用して戴けるのも有難い話です。そうしてみれば、身近なところにあるものが思いがけず「応援物資」になり変ることに新たな喜びを感じました。
夕方、スタッフ全員で亘理町のSさん宅へ子どもさん達を送り届けがてら、庭先をお借りして夕食代わりのバーベキュー大会です。直前に食材の手配をお願いしていたら全員大満足なボリュームに加え、お手製の漬物なども出して戴き、初対面の者同士が挨拶を交わしたり名刺交換をしたり・・・。Sさんたちと被災時の話をしたり子どもさんたちと花火をしたり、各自思い思いのスタイルで楽しませて戴きました。その後は一足早く帰る大型車を見送り、夜行バスで仙台から帰るN先生とS家の皆さんの見送りを受けて宿泊先の岩沼市へ向かいました。N先生、昨年復旧したJRの浜吉田駅から電車で仙台へ向かったんですが、思えば2年程前、雑草が伸び放題の錆びた線路の上を歩いていたんです。まさか、その電車に乗ることになるとは当時は思ってもいなかったでしょうね。車窓から眺める景色にも感慨ひとしおだったと思います。
さて、入浴を済ませて小一時間ほど反省会の後は文字通り「バタン、キュー」でしたが、出発は早朝5時。流石に全員寝過ごすことなく出発出来ました。ここから釜石まで200km超の道程です。仙台空港ICから高速に乗り、4時間あれば大丈夫だろう、という私の予測が見事に外れ、目的地の釜石に到着したのは、イベント開始の15分前。流石に焦りました。今回、釜石へ来た目的が地元の有志が企画した音楽イベントへの参加であり、トラックをステージとして使ってもらうことでした。その肝心のステージが待てど暮らせど到着せず、開会時間は刻々と迫り、来場者も集まって来ています。そんな中に登場するんですから石を投げられても当然、と腹をくくっていたんですが、スタッフの皆さんは温かく迎えてくれました。挨拶もそこそこに積んである荷物を卸し、ステージの飾り付けを行い、機材の設置・・・。僅か10分ほどで出来る訳がありません。結局、主催者様のご厚情で開会を1時間遅らせて戴き、何とかオープニングを迎えることができました。関係者の皆様、出演された皆様にはこの場を借りて改めてお詫び申し上げます。
今回の音楽イベント、「みんなの音楽祭 IN 片岸海岸」の会場は釜石市鵜住居の少し北にある「片岸海岸」でした。文字通り白い砂浜のある風光明媚な海岸で、一角にはハマボウフウが咲いています。地元の方には馴染みの場所でもあり、震災後に海が怖くなった人達に、もう一度海の素晴らしさを感じてもらおう、故郷の海に向かって思いっ切り歌ってみよう・・・そんな想いから決定した場所でした。トイレも水道も、文字通り何も無い海岸でしたが主催者・スタッフの熱い想いがクッキングカーを集め、仮設トイレを設置し、事前には草刈りや立入り禁止のロープを張るといった正に手作りの会場でした。その想いが通じたのか、前日までの不安定な天気が一転し、見事な青空が広がりました。
ステージでは地元の女性によって結成された「紅太鼓」の演奏で幕を開け、地元の高校生バンド、プロミュージシャンなど次から次へと熱いステージが続きました。司会進行はジャズピアニストとして活躍されている馬場葉子さんが務められていました。今から思えばサインでも貰っておけば良かったな、と少々後悔しております。
そんなドタバタ劇を演じて漸く一息ついた時、会場の一角に素晴らしいモノを見つけました。
お解り戴けますか? ハート型の「手作りプール」だったんです。この片岸海岸は急深となっているため遊泳禁止でした。折角海の側まで来て水遊びが出来ないなんてあり得んやろ!と 我らが勇人君をリーダー(?)に釜石のイケメン軍団がスコップで掘って作ったものです。中の水はわざわざ川から汲んで来たもの。子どもたちの歓声とともにあっという間に濁ってしまいましたが、子どもたちにとっては素敵な思い出が増えたでしょうね。
我々も、小さな子どもさん向けに「ミニ縁日コーナー」を開設させて戴きました。あくまでも音楽イベントですのでなるべく目立たず、ひっそりと・・・と思っていたんですが、少しでも喜んでもらおうと毎度毎度の悪癖が頭をもたげ、ゆらゆらコイン、輪投げ、金魚すくい、挙句の果てにスリッパ飛ばしと持って来たモノ全てを出しました。ところが、マイクロバス組は一足先に帰途に就くことをすっかり忘れていました。残るのは私とH君の二人だけです。当然のことながら「店長不在」のコーナーが出来てしまい、苦肉の策で「輪投げもコインもセルフサービス!」という暴挙に出てしまいました。投げる輪を拾い集めるのもお客さん、景品を持って行くのもお客さん任せ、という楽をさせて戴きました。面白い事に、小学校3年生位の女の子が世話役を買って出てくれ、景品の大盤振る舞いをしてくれました。高校生グループも「自主運営」でゲームをしてくれ、無責任な店員2名は程良い暑さと心地よい潮風、流れて来る音楽のリズムでいつしか夢の中へ・・・。
フィナーレに向け、ステージでは出演者全員による合唱あり、飛び入り有りで大盛り上がり。縁日コーナーも最後まで客足が途絶えることがありませんでした。大槌の高校生7人組も後片付けを手伝ってくれたり、本当に明るくて素直な子たちでした。小さな子どもたちを上手にあやしたり、一緒にシャボン玉をしてくれたり。学校生活でもまだまだ不自由なことが多く、将来も進学か就職か決めかねている、という話をしてくれました。家庭の事情もあれば、故郷を離れたくない、という想いに加え、あの忌まわしい震災を乗り越えたんだから、これからは地元の為に何かをしたい、と海を見ながら話してくれた言葉には感動しました。早朝、ここへ来る前に通った陸前高田では全長3kmにも及ぶ巨大なベルトコンベアーが山から土を送り込んでいました。8mとも、12mとも言われる「嵩上げ工事」が進んでいます。あの「奇跡の一本松」もその存在を確認することさえままならないような風景に復興の2文字が遥か先にある気がしました。恵まれた環境にある仮設住宅でも未だに毛布やタオルが喜ばれること、釜石近辺でも更地になったままの風景、手付かずの被災家屋、新しく造成された防波堤だけがやけに目立つ港。そんな場所にも関わらず、懸命に前進しようとする若者がいます。それを支える大人がいます。人口は今でも減少し、街が再興されたときに果たしてどれだけの住民が戻ってこれるのか、街が出来ても果たして機能するのか、とまだまだ課題は山積みのようです。年に数回程度しか現地へ訪問出来ない私たちには計り知れないものがあります。いたずらに「頑張れ」とは言えない状況があります。だって、3年以上も頑張って来た人達ばかりなんですから。自分たちに出来る事などたかが知れています。無力であることは百も承知です。それでも、直接会って言葉を交わすことで何か少しでも役に立てるかも知れない、その人だけでも心の支えになってあげられるかもしれない、そんな想いであすなろ応援便は活動を続けています。例え一瞬でも、相手を笑顔にさせてあげられれば何よりです。何よりも、住民の皆さんと同じ目線で、同じ仲間として接すること、これに尽きると思うんです。今の時期、日本各地で盛大に花火大会が行われています。夏の風物詩として、数や大きさ、迫力を楽しみます。 皆さんは花火を見ながら何を想われますか? 私自身、トラックであちらこちら走っていると夜空に打ち上げられる花火をよく見かけます。「ここの花火は景気良く上げてるな」とか、「この花火は色使いがすごいな」と思う程度で、スポンサー名が読み上げられれば「あの会社儲かってるんやな」くらいの感想でした。しかし、岩手のある方に聞いたのは、「この花火、あの人にも見えているんやろか・・・。」 そうです、被災地で打ち上げられる花火には犠牲となった方への「鎮魂の想い」も込められているんです。何人もの親族を無くされた方がスポンサーとなって打ち上げられた花火がありました。「俺は元気にやってるよ」というメッセージを添えられたそうです。一口数万円の花火ではたかだか知れた大きさのものですが、それでもどんなに立派な大玉のものより心が籠っています。8月11日には全国で「線香花火」を灯して、空の上から日本列島に天の川のような光の帯を作ろう、というプロジェクトが進められていることをご存じですか?鎮魂の想いと、未来への希望を表現するものだそうです。花火一つでも、我々と被災地の方とでは捉え方が異なるんです。全てがそうであるとは申しませんが、自分が同じ境遇だったらどうなんだろう、と考えれば軽はずみな言葉は掛けられませんし、軽い気持ちで発した言葉で相手をより悲しませてしまうことだってあります。励ましより寄り添うこと、支援では無くお手伝い。少なくともあすなろに賛同して戴く皆さんはそのような気持ちでいて下さると思っています。我々は今後も活動を通して現地の生の声をお伝えし、何らかのお手伝いをして行きたいと思っています。昨今の異常な気象状況であちらこちら被害が出ています。いつどこで何が起こるか予測すら出来ない中、こうして活動を続けさせて戴けることに感謝し、当初からの「無理の無い範囲」での応援を細く長く継続して行きます。この報告書をご覧になって共感して戴く方がいらっしゃれば幸いです。
取りとめの無い文面になりましたが、以上を持ちまして第37弾活動報告とさせて戴きます。ご拝読、誠に有難うございました。