第31弾 活動報告書

いつも当ブログ(報告書)をお読み戴いている皆様、大変遅くなりましたが第31弾の活動報告をさせて戴きます。

実は、31弾の活動中の23日の夜連絡があり、足掛け14年勤務してくれた社員さんが心筋梗塞で急逝しました。定年を過ぎてもそのまま勤務してくれ、当社の得意先の工場の出荷業務を担っていてくれたのですが、支援活動にも理解してくれて桑名の「ニコニコひまわり畑」のHさんを紹介してくれたのも彼でした。享年71歳でしたが責任感が強く、面倒見もいい人で少年野球連盟の理事長なども務められ,多くの方から慕われていました。通夜には会場に入り切れないほどの参列者が集まり、少年野球のユニフォームを来た子どもたちも大勢来場していました。まだまだ頑張って貰えると言う事で後任も考えていなかったのに余りにも急な訃報にショックを受けました。その後、当面の対応のためS部長が工場に張り付いてくれましたが間の悪いことに主力であるⅠ君が怪我の為に戦線離脱、さらにもう一人が個人的な理由で長距離を一時休止という事態になり、11月の最終週から今日まで殆ど事務所に座れない状況でした。周囲の協力もあって少し落着いたのでこうして報告書を作成できますが、これから年末にかけての繁忙期、何とか乗り切って行こうと覚悟しております。冒頭から言い訳じみた話で申し訳ありません。それでは気を取り直して活動報告をさせて戴きます。

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第31弾は11月23日・24日と福島県相馬市、宮城県亘理町、女川町、別行動で福島県郡山市と訪問して来ました。今回の参加者は総勢14名、大型車とマイクロバスで連休の渋滞を恐れつつ予定した午後8時に鈴鹿を出発しました。今回はレギュラーメンバーに加え、四国中央市からYさんご夫婦が直前に参加の申し出を戴き、前回の加藤代表に続いてまたもや愛媛県からの協力な助っ人に加わって戴きました。早朝に愛媛を出発され、当社には時間調整をして戴きながら夕方には到着、今回のためにと自ら作られた里芋とネギをご持参戴きました。前日には加藤代表からミカン、金沢のNさんからのリンゴも届いており、改めて皆様のご厚情に感謝する次第です。更に、今回は地元の中日新聞のK記者が同行取材を、とのことで賑やかな顔ぶれとなりました。途中、港北PAで今や千葉県民と化したN先生と合流、思いの外順調に走って東北道白石ICを午前7時過ぎに下り、亘理町で小休止した後最初の訪問先である福島県相馬市の柚木(ゆぬき)応急仮設住宅へ午前9時過ぎに到着。今回窓口となって戴いた大西さんも駆け付けて戴き、自治会長さん・区長さんと共にお出迎え戴きました。事前の情報では100世帯余りの仮設と聞いていましたが、思っていた以上に広い場所でした。大西さんの案内で会場となる集会所前へ向かっていくとあちらこちらから住民の皆さんが出て来て挨拶して戴きます。静かな朝に大型トラックが入って来るんですからさぞかし驚かれたことと思います。こうして温かく出迎えて戴くことは我々あすなろのスタッフにとって、数百kmの疲れが吹っ飛ぶ瞬間です。初めて伺う所ほど気を使いますし、お邪魔することが迷惑にならないか、といつも心配するんですが、過去30回、どこへ行っても皆さんが歓迎して下さいました。今回も会う人全てが笑顔で迎えてくれ、準備を始めるころにはすでにかなりの住民の皆さんが集まってくれました。

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今回の配布会はこの柚木仮設のみ。他は少しずつ「お届け」するだけです。つまり、このトラックに積まれている物資は9割方この柚木のために運んで来たんです。ウィング(屋根)を上げたあたりから見ていた住民の皆さんが驚いている様子が伝わって来ます。20m四方というバカでかいブルーシートを広げ、物資の陳列開始!荷台の上から様子を伺うと早くも目当ての品を見つけた方がその前に陣取って、いまや遅し、と身構えています。今回も全国から寄せられた衣料品、布団類、陶器、雑貨におもちゃ、家具に畳とバリエーション豊富です。予想通り、ご婦人方は布団の前へ、子どもさんはおもちゃの前へ。今回、小物作りの材料となる布地や手芸用品を募集したところ大量の布地に加えて着物(和服)の提供がありました。それも10枚や20枚どころではありません。仕分けの際、布地として出すのも勿体無いと思い、スタッフに着物だけまとめて置くように頼みました。その前に何人ものお母さんたちが並んでいます。後から聞くと、偶然にもこの仮設住宅には「踊りの会」があったんです。言うまでも無く、着物はあくまでも贅沢品であり、踊りの時も皆さんまちまちに私服で踊られていたそうで、思い掛けない着物の登場に早くも興奮状態でした。自治会長さんの挨拶後、いよいよ配布会の開始となりましたが、布団類は秒殺。タオル・バスタオルもあっという間に品切れです。時間は十分あるから、と声を掛けながら会場を回っていると皆さん本当に楽しそうに品定めをされています。全国の皆さんからご提供戴いた物資がこんなに喜んでもらえましたよ、と声を大にして叫びたい瞬間です。

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画像では解りにくいですが、パンジーも300鉢ほどお届けしました。これも喜ばれましたがそれ以上に人気があったのがYさんが持参して戴いた里芋・ネギ、そして桑名のニコニコひまわり畑で収穫されたサツマイモ。以前訪問した南相馬の方が、放射能の影響で自分が作った野菜も食べられない、と嘆かれていたので野菜などをお届けしたら喜ばれるのでは、という考えだったのですが予想以上の人気に驚きました。福島第一原発から30km以上離れていてもやはり露地栽培の野菜に不安があったり、店で買うと値段もかなり高い、とのことです。Yさんもこんなに喜ばれるんだ、と実際に見て戴けたのが何よりです。以前も四国中央市から何度も里芋などをご提供戴き、どこへお持ちしてもすごく好評でしたよ、とはお伝えしていたんですが、実際に見て戴けたことでまた地元でも報告して戴けたと思います。四国へ何度も物資を引き取りに伺い、その都度お手伝い戴いていたYさん、たくさんの物資を集めて戴いたKさん、皆さんのお気持ちを確かにお届け出来ました。

さて、そんな賑やかな配布会場の横では我が料理人グループがもはや定番になりつつある「ふるまい」コーナーで張り切っています。今日のメニューはみたらしだんご300本と焼きハマグリ25kg。更に「あすなろの道場六三郎」ことM料理長が今回は白玉ぜんざいでお・も・て・な・しです。会場内にいい匂いが広がるとすぐに行列が。この日はN先生参加にも関わらず最高の天気に恵まれ、焼き物担当のスタッフは汗まみれです。何度も列に並んでくれるおじいちゃん、満面の笑顔でだんごを頬張るおばあちゃん。初めて食べる、と恐る恐る焼きハマグリを口にする子どもさん。見ているこちらも自然に顔がほころびます。

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今回もゲーム担当N君が子どもたちに遊んでもらい、いや遊んでくれました。子どもさんが少ないと聞いていたので「ゆらゆらコイン」と、H嬢によるバルーンアート、Yさんが用意してくれた昔の遊び道具しか無かったのですが、それでも楽しんでくれた子どもさんに感謝です。

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昼過ぎ、少し落着いて来た頃合いを見計らって今回のミッション遂行。一つ目は、水沢地区市民センターからM君の口ききで提供戴いたお菓子や消耗品の引き渡し。自治会長さんにお願いして間違いなくお渡ししましたよ、と証拠写真をパチリ! 水沢地区の皆さん、たくさんのご提供、誠に有難うございました。 m(__)m m(__)m m(__)m

 

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もう一つのミッション。今回、沢山の「お茶道具」のご提供が愛媛からありました。柄杓や茶筅など、結構まとまった量があります。折角だから茶道をされている方に使って戴けたらと思った瞬間、ある方を思い出しました。6月に南相馬の千倉仮設で和菓子教室を開催した際、震災前まで茶道教室をされていたご婦人のことを。すぐにⅠ自治会長さんに℡し、その女性と連絡を取りたい旨申し上げた所、「あー、あれウチの家内ですよ。」 和菓子作りがきっかけで、また茶道教室をやりたくなった、と言われたこと、茶道の嗜みのある方にお渡ししたいことを説明すると是非とも、とのことで見事にマッチング成功です。幸い、柚木から千倉まではそんなに離れていません。窓口をお願いした大西さんにお願いして乗用車に道具一式を積み、千倉仮設を目指します。生憎この日はご親戚の結婚式で京都に行かれていると聞いていたので代理の方に集会所を開けて戴き、無事お届けさせて戴きました。

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5ヶ月振りの千倉仮設でしたが、数人しか人影がありませんでした。その中のお一人が、「前に来てくれた人だね?」と声を掛けてくれました。恐らく作業服のマークを覚えてくれていたんでしょう。思わず嬉しくなりました。こんなに離れていても、一度しか会っていなくても覚えてくれている人がいるというだけで、本当に有難いことです。

さて、柚木に戻るとほぼ配布会もふるまいコーナーも終了とのことで、残った物資をトラックに積み込み、しばしの歓談です。我々にとっても現地の生の声を聞かせて戴ける貴重な時間でもあります。こういった場で聞いたこと・見たことを持ち帰って地元に伝える事が我々に出来る唯一の応援であるとも思っています。別れ際に自治会長さん、区長さんから手を差し出され、思いがけず強い握手を交わした時に今回の配布会の成功を確信しました。不思議なもので、ここ数回は自然に握手をするようになりました。活動当初は挨拶するかお辞儀をする程度だったのが、ハイタッチしたり握手したり・・・。「また来てね」 「また来ます」とお互い無意識に伝えているのかもしれませんね。

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楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、時計は午後3時半を回っています。毎回のことながら後ろ髪を引かれる思いで移動を始めるとわざわざ外まで出て来て手を振りながら見送ってくれる方が・・・。また機会があれば再訪したい、それまで皆さんお元気で!と心の中で念じながら柚木を後にしました。

ふと気が付けば今日は朝からまともに食事をしていません。さぞかしバスの中では不満が爆発してるだろうなー、と思いながらも次の訪問先の亘理町へ向かいます。6月に吉田保育所で夏まつりを開催した時以来の訪問となるSさん宅へ。今回は厚かましくも庭先をお借りして夕食をとらせて戴くことになっています。すっかり親戚気取りでトラックを停めると元気よく子どもさんが飛び出して来ました。ここではいつも季節の郷土料理をご馳走になるんですが、今回はメンバー1番人気の「ハラコめし」。この味を楽しみにしているメンバーもいるほどです。昨年は時期を逸してしまいましたが、今年は何とか間に合ったようです。ご馳走になるだけでは申し訳ないと、庭先では再度炊き出しの準備をはじめ、またもや焼きハマグリと白玉ぜんざいの振舞いが始まりました。今回は自分たちも味わおうと、先を競って口に運びます。あたりはすっかり暗くなっていましたが、車のライトを照明替わりに、異様な盛り上がりになりました。朝にも一度立ち寄って、Yさんたちから2年前に提供戴いた里芋がしっかり育って隣近所でも収穫できていること、除塩の苦労話や震災時の様子など、初めて参加したメンバーも真剣な面持ちで聞いています。新聞記者さんもいろいろ取材を敢行しているようで、仮設住宅ではない個人宅に住んでいる被災者の苦労をメモ帳に書き留めていました。

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S家の皆さん、ご近所の皆さん、いつも温かく迎えてくれて本当に有難うございます。N先生もここへ来るとすっかり「嫁」が里帰りしたかのようにお母さんの手伝いをしたり、子どもたちには「遊んでくれるお姉さん」として慕われ、日常生活を忘れてリラックス出来る場所になったようですよ。(^_-)-☆

 

 

宿泊は岩沼市にあるモンタナリゾート。あすなろの宿泊先としては贅沢に思えますが、8人用のロッジと女性用の4人部屋で一人当たり4,000円程で泊まれます。朝食もバイキングで唯一優雅な一時を過ごせるのが気に入っています。今回も松山市のKさん、明石市のKさん、堺市のAさんから活動費に、と戴いた篤志を朝食代に充当させて戴きました。ご厚情有難うございます。

本日の予定は石巻・女川の震災遺構を見て前回知り合ったSさんの所へ。朝8時に出発し、時間を見ながら松島で国道に入り、そのまま石巻へ。連休でもあり、松島はすでに観光客で結構賑わっています。しかし、石巻に入ると状況は大きく変わり、未だに手付かずの場所が至る所に見受けられます。

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どこまでも続く荒野、壊れたままの建造物、未だに残る瓦礫の山・・・。2年8ヶ月、震災後1,000日を前にしてもまだこの有様です。更に進んで女川町に入ると初めて来たメンバーは声が出ません。自分もそうだったように、目の前に基礎からひっくり返った建物が理解出来ないんです。

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それでも高台には仮設商店街がありました。

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ここで各自土産物を買ったりして小休止の後、細い峠道を北上してSさんの住む女川町の指ヶ浜を目指します。道路は何ヶ所か工事で片側通行。道幅が狭いので対向車とすれ違うたびに冷や汗が出ます。走っている大型車といえばダンプだけ。この先大型トラックが入って行けるのか、と一抹の不安もよぎりましたが、無事に指ヶ浜へ到着。出迎えてくれたSさんもトラックを見てびっくりした様子です。挨拶もそこそこに、約束していた布地等をお渡しし(Sさんは「手作り屋まんちゃん」として布地で小物を作ってみえます。)、愛媛からのミカンと石川からのリンゴも皆さんで、とお渡ししました。Sさんの住む仮設は僅か14世帯。この時期は漁業の一番の繁忙期とのことで、物資はSさんが分配して戴くことになっています。到着直後からSさんのご主人に付きっきりで取材をしていたK記者がどうやら無理をお願いしたようで、これから銀鮭の養殖生簀を見に行く、と言います。そんな美味しい情報を聴き逃す訳にはいきません!すぐさま同行したい、と申し出るとメンバーが次々と参加の名乗りを上げ、極端に船に酔い易いHさんとその話相手に残るM料理長を残し、全員が船上の人となりました。

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丁度、数日前に生簀へ銀鮭の稚魚を放流したばかりとのことで、生簀の中では体長20cmほどの銀鮭が元気に跳ね回っていました。これから春まで成長させ、初夏の頃に出荷するとのことです。この夏に水揚げして冷凍庫にストックしてあった銀鮭を特別に売って戴きましたが、岩塩で程良く味が付いており絶品でした。価格もこちらでは想像出来ないお値打ちなもので、それでも風評被害で浜値はかなり下落したそうです。今年から息子さんが手伝うことになり、ようやく小物作りに専念出来る、と笑顔を見せてくれたSさんの明るさが何よりでした。ご提供戴いた布地等も写真のような可愛いポーチなどに生まれ変わります。ご興味のある方は「手作り屋まんちゃん」のブログを検索してみて下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/m7manchan/folder/402970.html

Sさんたちに別れを告げ、三陸道を目指して道の駅「上品の里」で小休止。震災直後、ここはボランティアの溜まり場でした。入浴施設もあるので、ここで車中泊したものです。いまではすっかり観光客の集まるスポットになっていました。ここでマイクロバス組と別行動です。最後のミッションである、エレクトーンのお届けに福島県郡山市へ向かうのですが、いくら体力自慢でもエレクトーンを一人で運ぶほどではありません。H君に協力を求め、更に千葉へ帰るN先生を道連れにしてバス組に分かれを告げ、三陸道から東北道へ入りひたすら郡山を目指します。目指す「ドレミの保育園」についたのは午後5時過ぎ、すっかり暗くなっています。ここはウグイスの会加藤代表から紹介された場所で、大型ショッピングセンターの一角にありました。なるべく楽をしようと狭いクランク状の進入路からトラックを突っ込み、何とか至近距離から搬入出来ました。目的のエレクトーンは問題なく受け取って戴きましたが、トラックの中にはまだ少し物資が残っています。それとなくお伺いをたて、畳6枚と使い捨てマスク12箱を使って戴けることになりました。

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ここの園庭には放射能測定器が設置され、この時の表示では0.016マイクロシーベルト。やはりこれほどの内陸部でも屋外で園児を遊ばせるのは一定の時間だけだそうです。国策として進めて来た原発がこのような結果になることは誰しも想像していなかったことなのでしょうが、こうしてその影響を目の当たりにすると子どもたちが重い十字架を背負わされたような気がしてなりません。屋外での遊びもダメ、プールもダメではあまりにも可哀想です。岩手や宮城ではあまり感じない「原発の影響」を福島では感じます。目に見えない健康への不安、日常生活への影響、風評被害・・・。福島から離れている人からすれば他人事かも知れませんが、実際にそこで生活している人たちからすれば住んでいるというだけで白い目でみられたり、福島産というだけで農産物・水産物はおろか石材や木材すら売れなくて困っていると聞きました。正に死活問題です。福島県民だから、という理由で結婚話が取り消されたという女性の話も聞きました。生まれて来る子どもに障害が出るかもしれないから、という理由だったそうです。同じ日本に住みながら災害によってそんな差別や偏見を持たれるのが耐えられない、と涙ながらに話してくれた人もいました。不安を抱えながらも、一生懸命に普通の生活を送っている人たちがいることを今一度考えて欲しいと思います。実際、小さい子どもさんを持つ若い夫婦は県外へ避難しています。仕事の関係で妻子だけ県外へ送りだした人もいます。福島の人口は毎月減少しているとも報道されていました。家族が離散すること無く、普通の生活を送れる日が一日でも早く戻ることを願うしか出来ませんが、今後も自分自身が見聞きした情報を発信して行きたいと思います。

今回の活動に際してご協力戴きました皆様、本当に有難うございました。以上をもちまして第31弾 活動報告書とさせて戴きます。

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