第30弾 活動報告書

お待たせ致しました。第30弾の活動をご報告させて戴きます。

今回は訪問先の選定にかなり時間を要しました。以前からお世話になっている大船渡市の学童保育所、「にこにこ浜っ子」のK先生から学習机と電子ピアノの要望があるけど、とご連絡を戴いたのが9月末でした。以前支援物資としてご提供戴いたものの行く先が決まらずにずっと当社でお預かりしていた電子ピアノが3台、学習机も2台ありましたので即座にお受けし、先ず大船渡へ行くことが決定しました。次は日程調整。さんざん検討して10月11日出発になりましたが世間では3連休。当然頭をよぎったのはGWの大渋滞です。本来であれば土・日・祝と3日間も現地で活動出来るチャンスですが、帰路の渋滞を考えれば土日の2日間が無難だろう、場合によっては自分だけもう1日残って・・・と目論んでおりました。何せ、今回は当初マイクロバスの確保が出来ず乗用車に分乗、という状況にも関わらず、参加者は日毎に増え、最終的には18名。事情を知った愛媛県の「ウグイスの会」加藤代表が「自分の車をそのまま東北へ」とまで申し出て戴きました。加藤代表のことはご存じの方もいらっしゃるでしょうが東北の仮設住宅や保育園などへミカンなどを送る支援活動をずっと継続されています。地元でもイベントのある際に東北などで作られた手作り品の販売や募金活動などを精力的にこなされています。あすなろにも物資のご提供を戴いて愛媛県西予市でお会いしたのが一度だけで、その後はメールでのやり取りだけでした。その加藤代表から参加の申し出を戴き、一緒に活動出来ることになったのですが、ミカンをお届けしたい場所がある、とのことでしたので大槌町と石巻が加わり、更にメンバーのHさんから7月に訪問して仲良くなった気仙沼大島の女性が布地を希望されている、と聞きました。当初はダンボール箱で郵送するようでしたが、当方にお預かりしているものとHさんが募集して集まったものを併せるとダンボール4箱。どうせなら直接お渡しすれば?とのことで気仙沼も追加。加藤代表から依頼のあった亘理郡山元町の箱根仮設住宅が日曜日の午後でしたので、コースは大船渡~気仙沼~亘理とおおまかに決まりました。ただ、この時点では大船渡の訪問は電子ピアノと学習机のお届けだけで、あわよくば子どもたちと遊ぼう、と思っていたら土曜日は遠足であることを聞かされ、あえなく断念。そこで横浜の「あいうえおの会」K代表に打診したところ大船渡のコールセンターをご紹介戴きました。コールセンターは大船渡市内の仮設住宅の運営などを行って、それぞれの場所に指導員を配置されていました。たくさんある仮設住宅の中で私が選んだのが三陸町綾里にある「黒土田応急仮設住宅」。ここは世帯数約80、宿泊先のフレアイランドにも近いという理由で簡単に決めたんです。これで漸く第30弾のコースが決まりました。正に出発する5日前です。実は殆どこんな感じで直前まで訪問先が決まらないことが最近多いです。現地からの情報が少ないこと、窓口のボランティアセンターなどが徐々に無くなっている事などが原因でしょうがまだまだボランティア仲間からの情報や他団体とのタイアップで情報が集められることを知りました。

さて、そんなドタバタにも関わらず当日を迎えましたが、直前になってマイクロバスが空いたよ、という嬉しい知らせが!いつも無理をお願いしている修理工場さんが知り合いのバスを頼んでくれていたんです。これで気持ちに余裕が出ました。出発前には福井からわざわざH専務さんが差し入れの菓子パンを大量にお持ち戴いき、午後8時、トラック2台とマイクロバスで出発しました。途中蓮田SAで今までもたくさんの物資をご提供戴いているHさんご夫妻と合流、さらに現地では我らが強力な助っ人、釜石の勇人君も待っていてくれます。気分は既に東北へ!

思った以上に順調に走り、まずは最初の目的地気仙沼へ。何度も見た鹿折地区の「第十八共徳丸」は既に解体工事が始まっており、船体の半分位が残されているだけでした。震災遺構として残す・残さないが長らく議論されていましたが、いずれにせよ一つの区切りが付けられました。この船を見る度に辛い想いをされた方々にとってもようやく少しは心が落ち着かれることを祈るだけです。周囲は未だに残された住居の基礎があり、初参加のメンバーは声も出せません。2年7ヶ月たった「現状」です。

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鹿折地区で土曜日にも関わらず慌ただしく稼働中の重機を見ながら気仙沼港へ。7月に乗船したフェリーも停泊していました。前回見た半分沈んだ桟橋も撤去されていましたが、周辺はまだ地盤沈下の影響で水が引かず、津波の影響を受けたモニュメントもそのままです。

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さて、駐車場では既に気仙沼大島から軽トラで来て下さったⅠさんがお待ちかね。Hさん親娘と感激の再会を果たし、しばし歓談です。ここでお渡しした布地は島のお母さん方が手作り小物を作る材料になります。こうして着実に地元の方とメンバーの繋がりが出来ていることは本当に嬉しく、参加してもらった意義があります。帰り際には島で採れた「松茸」や手作り品を戴き、思い掛けないプレゼントに恐縮至極です。その後松茸がどうなったのかは敢えて書きません。(書けないと言ったほうが正解かな)

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さて、一行は更に北上。車窓から陸前高田の奇跡の一本松を見ながら大船渡市へ。街中は少しずつですが復旧しており、店舗も随分増えました。漁協の工事も進み、おそらく水揚げの或る日は活気に溢れているんでしょうね。茶屋前商店街もすっかり整備され、津波の到達の時刻を指して止まったままの時計が唯一のシンボルとして残っていただけです。

さて、本日のメイン会場である黒土田応急仮設住宅へ到着したのは午後2時頃でした。綾里中学校の一角に建てられたこの仮設住宅はかなり高台にあり、大船渡市街へは約15kmほど、その間店らしい店はありませんでした。すでに集会所前には何人ものお母さんたちがいまや遅しとお待ち戴いています。指導員のMさんが出迎えてくれ、早速荷卸しと会場設営です。今回は物資配布と炊き出しの他に新たなメニューが加わりました。フェイスブックを通じて知り合ったばかりの仙台市在住のピアニスト、Ⅰさんが我々の活動に共感して戴き、参加して戴いたんです。冒頭にも述べた電子ピアノをお届けする前に一度仮設住宅で演奏してもらうお願いをしており、今回はあすなろ初のミニコンサートの開催となりました。物資を並べる傍ら、慎重に2台の電子ピアノを卸して会場内に設置し、全ての準備が整うころに丁度翌日の運動会の準備に行かれていた自治会長さんも到着、ご挨拶を戴いていよいよ配布会の開始となりました。みたらしだんご(もちろんことよさん製)や、名古屋のサンワコーポレーション様からご提供戴いたレトルトの手羽先のいい香りの漂う中、あちらこちらで笑い声や笑顔が見られます。ほどなくしてピアノの音色も会場内に響き、いつもとはまた違った穏やかな空気を感じました。Ⅰさんも住民の方からリクエストを受け、聞き覚えのある曲を次々に奏でてくれます。中にはじっと聴き入ってうっすら涙を浮かべるおばあちゃんの姿も。これは予想外に喜んで戴けましたのでまたⅠさんのご都合が付く限りは定番メニューにさせて戴きたい、と一人で勝手に決めました。

炊き出しでは前回大好評だった焼きハマグリも予定していたんですが出発当日になって何らかの手違いか肝心のハマグリが届かず、淋しい炊き出しになるな、と諦めていた私を救ってくれたのが加藤代表の持って来て戴いた愛媛ミカンでした。小粒ながら甘くて美味しいミカンが皆さんに大好評で、こちらも肩の荷が降りました。

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我々にとっては何度も同じ内容ですが、住民の方にとっては目新しさもあるようで、子どもたちにはあすなろの定番、「ゆらゆらコイン」が大盛況。一番若手のN君に担当を任せていましたが、彼も何度かするうちにノウハウをマスターし、子ども相手に一生懸命盛り上げてくれています。今回初参加の高校生T君もその助手となり子どもの相手に必死です。明日もこのコンビに任せようっと!

今回も持ち帰り覚悟で大きなタンスやコタツ、さらに畳10数枚まで持ち込みました。何度も書きましたが仮設住宅の最大の課題はその狭さです。欲しくても置場がない、そういって今までに何度も家具はやめようかと思っていましたが、なんとここでは完売!初参加の大工さんたちも次々に貰い手が決まった家具や畳を汗だくになりながら指定されたお宅へ配達です。「まさかこんなの貰えるとは思って無かった~」と言いながら満面の笑みで住居に向かうご婦人、軽トラを持って来て積み込むお父さん。トラックに半分ほどあった家具は瞬く間に新しい活躍の場へ消えて行きました。ふと電子ピアノの方に目をやると、高校生位の可愛い女の子がじっとピアノを見つめています。近づいた私に「弾いてみてもいいですか?」と聞かれ、「もちろん。1台は行き先決まってるけど、もう1台は良かったら差し上げますよ」と半ば冗談まじりで話していたら女の子の目の色が変わりました。近くで物資を見ているお母さんの所へ走り寄り、何か必死に訴えています。「ピアノ欲しいんだろうけど、置く場所が無いって言われるんだろうな・・・」と何とも申し訳ないような気になりかけた瞬間、女の子が小走りで戻って来ました。「おじさん、これ私に下さい!大事にしますから!」と興奮気味に喋りかけてきました。「え?使ってくれるの?お母さん、良いって言ってくれた?」 正直、こちらのほうが驚きました。今まで何度も保育園や幼稚園、学童保育所へ問い合わせても引取り手が決まらず、仮設住宅の集会所ですら置場がないと断られ続けて来た代物です。両手に物資を抱えて来たお母さんに承諾を確認すると、「この子、ずっとピアノやってたんですよ、震災までは。コンクールにも出たりして将来はピアノの仕事がしたいって言い続けて。」 お母さん、あらためて電子ピアノを見て、「おいくらですか・・?」と不安げな顔で尋ねられます。電子ピアノが物資として提供されたものであること、今まで引き取り手が決まらなかった事を説明して納得して戴きました。置き場所はやはり仮設では無理だから、ということで取り敢えずお爺さんの家へ持って行くことになりました。自治会長さんも「こんなの買えば何十万もするんだから大事にして、いつかコンサート出来るようになったら(仮設の)みんなを招待してよ。」とエールを送ってくれました。ピアノをご提供してくれた方、運ばせて戴いた私たち、新しいご主人さん、それを見守る人々・・・全てが繋がって喜びに変わった瞬間でした。こういう機会を見る度に、本当に活動を続けていて良かったとしみじみ感じます。出来ればご提供戴いた方にこの瞬間に立ち会って戴ければ最高なんですが・・・。

会場内が盛り上がりのピークに達した頃、次のミッション遂行です。Hさんご夫妻と加藤代表がそれぞれの目的のために釜石・大槌へ。こちらは荷物が少なかったのでⅠさんが送迎役を買ってくれましたのでお任せし、私はピアノと学習机のお届けに。事前の情報では机は個人宅へ運ぶことになっていたためトラックでは進入困難と判断し、こんな時に頼りになる勇人さんを拉致!自治会長さんにお願いして住民の方の軽トラを厚かましくもお借りして大船渡市内へ。電子ピアノは「キッズクラブいかわ」という学童保育所さんでした。先生にご挨拶し、指定された納め先は2階。結構重量のある電子ピアノを二人で慎重に運びます。部屋の中にはきちんとカーペットが敷かれ、主役の到着を待っていました。猪川小学校の敷地内にあるこの学童さんには約50名の小学生が在籍しており、低学年の部屋にはオルガンがあるそうですが、2階の高学年の部屋には無かったとのこと。現物を見た先生からは「こんなに立派なものだとは思って無かった~」と喜びの声を戴きました。仮設住宅があるためグラウンドも十分使えず、離れた他校の校庭を使っているという不自由な学校生活などお聞きしているうちに、秘かにいつかここでイベントを、と心のメモに書き留めました。次に個人宅へ。4年生の女の子が学習机を欲しがっていたとのことで、案内されたお宅は国道から少し山の手に上った一軒家でした。またまた隼人君とえっちらおっちらと机を運んで玄関へ辿り着いたらトラブル発生。間口が狭く、机が入りません。引き戸を外せば、という勇人君の提案で試みたものの、築40年以上の木造家屋は長い年月でひずみが生じていたのか、引き戸が外れません。四苦八苦して何とか中に搬入出来たものの今度は引き戸を元通りに戻せず、何度もお詫びをして帰る羽目になりました。ちゃんと直して貰えたのか今でも心配しています。

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そんなこんなで黒土田仮設住宅へ戻ったのはあたりがすっかり暗くなった午後7時前。すでに会場の撤収も終わり、メンバーはバスの中で待ちくたびれていました。直前まで住民の皆さんも一緒に待っていて戴いたそうで、本当に申し訳ないことでした。遅くなる旨連絡しようとはしましたが、携帯電話が電池切れ、勇人君の電話を借りるにも連絡先は全て携帯の中ですから番号の調べようもありません。以後、十分気を付けます。

さて、翌日は早朝8時に出発。最初に立ち寄ったのが陸前高田市の物産センター。今や我が社でも好評のお土産となった板昆布などを紹介し、メンバーには「現地での買い物も復興支援」と煽り、各自様々な土産物を買い求めてくれました。応援活動なのか買い物ツアーなのかは疑問ですが・・・。

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さらに45号線を南下して南三陸町へ。これからしばらく「視察」です。道路の両脇には店舗も随分増えていますが、志津川町は相変わらず何もありません。目指す防災庁舎も遠くからその全景を見られます。車を停めて、住宅の基礎を踏まないように歩きます。基礎の上を歩いて行けば車から僅かな距離ですが、いくら基礎だけとは言え、かつて住宅があった場所です。土足で踏み込むような真似は控えるのが当然、と今までメンバーは遠慮してくれています。この日もたくさんの人が花を手向けたり、線香をあげたりして手を合わせていましたが、なかには堂々と基礎の上を歩いている心無い人も見受けられました。この防災庁舎もいよいよ取り壊しの決定がなされたと聞いたのは僅か数日前で、今度訪れる時にはもう見ることが出来ないかもしれませんね。第30弾 写真 108 第30弾 写真 114 第30弾 写真 111 第30弾 写真 113

続いてお邪魔したのが水戸辺仮設住宅。有名になった「南三陸ミシン工房」発祥の場所です。朝、急にお願いして見学させて貰いたいとの申し出に自治会長のMさんが快くお受け戴き、訪問することが出来ました。仮設住宅の集会所にある作業場では数名のお母さん方が小物作りに励んでいました。全国から寄せられた布地で丁寧に作られた小物類はメンバーにとっても格好のお土産となりました。

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ここから目指したのは石巻市。本当は海岸線に沿って女川町にも立ち寄りたかったのですが、既にかなり時間が押しています。近くにある「帆立小屋」(ほったてごや、と読みます)で昼食を、と思っていたんですが人数も多いため断念、コンビニで各自弁当を買って石巻市にある「門脇小学校跡地」へ。校舎にはすでにフェンスが貼られ、あの焼け跡の生々しい全景は見られませんでしたが、前に広がる雑草に覆われた広大な土地を見て唖然としていました。ここで、加藤代表と親交のある女川町の「まんちゃん」とお会いしました。ご主人さまが養殖業をされており、震災で生簀などに大きな被害があったそうですが今はご子息も手伝って銀鮭の養殖業を営む傍ら、奥様の「まんちゃん」が布地を使って小物の製造販売をされているそうです。お住まいの仮設住宅は僅か14世帯。色々お話しを聞き、トラックにつんであった布地2ケースと愛媛から送って戴いた里芋・お米などをお渡しし、何時か必ず訪問する約束もさせて戴きました。帰りがけには養殖された銀鮭を戴き、これは帰ってから切り身にしてメンバーで分けましたが、岩塩がよく利いて身の引き締まった極上のものでした。ネット販売もされているようですが、詳しい連絡先も伺わなかったのでまた改めてご紹介します。

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左が加藤代表、中央が「まんちゃん」     こんな小銭入れなんかを作ってます。

 

時刻は午後14時を回っています。ここから三陸道・仙台東部道路を経由して一路山元町へ。何せ天気はいいんですが、風がめちゃくちゃ強く、車体の大きなトラックは何度もコケそうになります。気持ちは焦りますが、とにかく安全第一。山元町の箱根仮設に到着したのは午後3時半でした。ここは2度目の訪問になりますが、前回も加藤代表のご紹介でした。その時は雪が降ったことを覚えています。窓口でもある自治会長のSさんはじめ、ここでも大勢の方が強風の中お待ち戴いておりました。すぐさま準備に取り掛かり、我が料理長はようやく出番、とばかりに「赤福もどき」の製造を始めました。前回の「てこね寿司」が非常に喜ばれたことに気を良くしたのか、今回は伊勢の名物「赤福」のようなものを提供しようと張り切っていたんです。貧乏グループの我々には餅を買う予算も無く、「白玉粉」と業務用のこしあんで、何とか赤福を作ろうと苦労してくれました。メンバーに女子中学生2人がいたので、この子たちを助手に付け、我々は住民の皆さんと旧交(?)をあたためつつ配布会のお手伝いです。前回は家具もお持ちしたんですが、今回は既に全部無くなっています。案外期待していてくれた方も見えたようで、この約1年近くの間に10数世帯がここから新たな住居に移られたそうで、これからもっと家具などの家財道具が必要になってくる、とのことでした。さすがに時間は経っても2度目ともなると会話も弾み、本当に楽しい一時を過ごせました。仲良し4人組も健在で、物資の中から奇抜なドレスを見つけて無邪気にはしゃぐ姿、お互いに選んだ服の品評会、皆さん本当に元気です。「こんなに冗談が言えるようになったんも、つい最近だよ」と話されたご婦人、「あんたたち、まだこうして来てくれるんだね」と言ってくれたお爺さん、「今度はいつ来てくれるの」と言ってくれた腕白坊主のしょうちゃん。みんな旧知の間柄のように温かく接してくれました。

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この仮設は子どもが少ないです。この日も数えっても4~5人。しょうちゃんはずっとゆらゆらコインから離れず、少し気の毒でもありましたが、住民のみんなから可愛がられている様子がせめてもの救いでした。保育園に行っている時間は友達もいるそうですが、保育園が休みの日には友達と遊ぶことは殆ど無い(住んでいる仮設が離れている)ので、日曜日は嫌い、と言った言葉に胸が詰まります。それでも、こんな子どもでも我々を気遣ってくれました。出来上がった「赤福もどき」の小皿を両手で持って、「おじちゃん、これ食べて」 嬉しいですよね、屈託の無い笑顔。オジサンも癒されます。

配布会も無事終了し、片付けも終わった後、全開と同様に集会所内でおもてなしがありました。住民のご婦人が作られた漬物、今年採れたてという地元産のリンゴ、仙台からお越しの「鶴姫」さん差し入れのずんだ饅頭を戴きながら飾り気のない、素朴な温かさに包まれて第30弾の活動は無事終了しました。

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震災から2年7ヶ月、30回にわたる我々の活動は毎回毎回色々な出会いがあり、ハプニングが起こり、涙と笑いと感動を味わって来ました。同じような事を繰り返していますが、行く先々で温かく迎えて戴き、私も、参加してくれるメンバーにとっても貴重な経験を与えて戴きました。その都度、全国から沢山のご協力・応援を戴き、その皆さんの代理として足を運んで来られました。支援物資に関しては地元の商店などの再会に伴って賛否両論があります。悪く言えば「営業妨害」になってしまうからです。我々は訪問先に商店がある場合は極力避けて来ました。唯一、亘理の公共ゾーン仮設で夏まつりと併催した時は仮設商店街がありましたが、事前に自治会長さんが根回しをして戴き、当方も飲食などはそこを利用させて戴くことで何のお咎めもなく、スムーズに事が運んだ、ということもありました。我々はあくまでもボランティアであり、訪問先に迷惑を掛けたり押し付けになることには細心の注意を払ってきた所存です。道中のアルコール禁止、宿泊先での酒盛りもご法度でした。道中の距離を考えればアルコールの少し位、という声もありましたが、他のグループで行きの車中でかなりの飲酒をしたために現地で何も活動出来なかったという話も聞きました。配布会が終わったら残った物資やゴミをそのまま置き去りにしたグループの話も聞きました。炊き出しで十分な数量を準備せず、長時間待たせた挙句に「来てやっただけでも有難いだろう」的な暴言を吐いた団体もあったそうです。我々も最近は炊き出しをすることが増えましたが、事前に世帯数を確認し、その準備が出来なければ実行しないようにしています。勿論、経費のこともありますが食べ物だけは不公平になってはいけないという考えからです。1年、2年と時間の経過につれてボランティアは減りました。異常気象に振り回された今年、洪水で第被害の出た山口・島根や竜巻の被害があった埼玉県、つい最近は土石流で大きな被害が出た伊豆大島・・・。それぞれでボランティアが活動しています。ただ、このボランティアという行為を今一度見つめ直してみる時期ではないか、と最近よく考えるんです。例えば先日の伊豆大島。離島であり、交通手段は船が主となります。災害が発生してまだ重機の搬入さえされていないタイミングで早くもボランティアが入ったそうです。現地の受け入れ態勢も出来ていない初期の段階でいくら経験豊富なボランティアであっても逆に邪魔をしに行くだけでしょうし、報道をみる限り、まだ個人宅の泥出しや家財搬出が出来る状況ではありません。まず自衛隊などが入って道路の確保や土砂の撤去が行われてからの話だと思います。行方不明者がまだ20数名残されています。その捜索にも支障が出るかも知れませんし、このタイミングでボランティアと称して乗り込むのは単なる自己満足に過ぎないとおもうんです。もちろん、真剣に現地の手伝いをしたい、という方もいらっしゃるでしょうがやはり物事には順序があると思います。去年も今年も3月11日が近づくとマスコミはこぞって「震災から○○日、被災地は今・・・」といった特番を組みました。全国各地でも被災者追悼の催しと称して被災地からわざわざ「来賓」を呼び寄せました。視聴率稼ぎや表向きのためにやっていることなら許し難い行為です。3月11日は被災者にとっては特別な日です。大切な家族を失ったものからすれば、この日だけは地元でそっとして置いて欲しい、というのが心情ではないでしょうか。いまでも月命日の11日には静かに祈りを捧げられています。今一度、礼節をわきまえたボランティアを行うためにそれぞれが深慮するべき時、と思います。

現在、あすなろ応援便の告知や募集案内をフェイスブック(FB)に揚げさせて戴いております。実際に現地へ行く行かないは二の次として、純粋にご協力戴ける方はどんどんメッセージをお送り下さい。但し、グループに加入する目的が勧誘や物品販売等、我々の目的に反する場合はお断りさせて戴いておりますので悪しからずご了承下さい。FBは「樋口博也」で検索して戴ければ幸いです。

長文になり、生意気なことを書き連ねてしまいましたが、最後までお読み戴き、本当に有難うございました。第31弾からも、地道に息の長い活動・身の丈に応じた活動に注力して参りますので、引き続き温かなご支援・ご協力をお願い申し上げ、第30弾の活動報告書とさせて戴きます。ご協力戴いた皆様、本当に有難うございました。

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第30弾 活動報告書 への1件のフィードバック

  1. まんちゃん のコメント:

    先日は、わざわざ、石巻にお立ち寄り下さり、お会い出来て嬉しかったです。

    そして、沢山、頂き、有難うございました。

    早速、仮設の皆さんにお分けする事が出来ました。

    銀鮭を食べて頂けて良かったです。

    それにしても、樋口さんが、差し上げた銀鮭に“岩塩”を使用している事を知っているとは驚きです。

    『美味しい!』と言って下さる方がいると思うから、銀鮭の養殖も励んでいけそうな気持ちになります。

    『味の良さ』に自信を持って、頑張りたいと思っています。

    樋口さんとの出会いに、感謝いたします。

     

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