2011年のGWから始まったあすなろ応援便(当初は復興支援便でした)も、全国の温かい心を持ったご支援者の皆様と、現地で調整役をして戴いた皆様のお蔭でとうとう30回を重ねさせて戴きました。震災から2年7ヶ月経過しても変わらずご支援・ご協力を戴いた皆様には心から御礼を申し上げます。
振り返ってみれば、開始当時はボランティアのボの字も知らないような手探りであり、見よう見まねでYahooの「掲示板」でボランティア情報を探し、物資の募集呼び掛けや訪問先の検索など来る日も来る日も長時間パソコンと向き合っていました。今から考えればインターネットで氏名・住所から個人の携帯電話番号やメールアドレスを開示していたのですから、無知とは恐ろしいものです。それでも、その中から今でも交流させて戴ける支援者の方々と繋がり、色んな方面から情報を戴けるまでにはあまり時間が掛かりませんでした。そこから現地の方を紹介戴き、また連鎖していく・・・。この2年7ヶ月という時間は私にとっては語弊がありますが「素晴らしい経験」をさせて戴いたと思っております。あの震災で東北の方は大切な家族・財産・思い出を失いました。その代わり私自身は言葉では表せない宝物を得たと思っています。一言で言えば「絆」です。当初は現地へ向かうのも気が重く、なかなか変わらない惨状に走りながら涙を流したこともありました。残された家屋の跡地に空き瓶で供えられた花、一角に寄せられたランドセルや写真アルバム、泥がついたままのサッカーボール・・・。何を見ても涙が込み上げ、車中でも無言で走っていましたっけ。配布会で数ヶ月振りに再会を果たした高齢のご婦人が抱き合って喜ぶ姿に男泣きもしました。茶碗1個だけを持って、何度も御礼を言ってくれたおばあちゃんにも涙顔で見送りました。そんな涙に明け暮れるような活動も月日の経過と共に、現地の人、とりわけ子どもたちに笑って欲しいと考えるようになり、工作教室や餅つきなどのイベントを取り入れるようになりました。学童保育所や幼稚園・保育園など、いい歳になったオジサン・オバサンが童心に帰って笑顔になってもらおう、と必死でした。戦隊モノのコスプレを来たことも、ゆるキャラの着ぐるみなどを持ち込んだのもつい最近のように思っていましたが、震災後半年ほどからやってたんですね。それでも子どもたちは元気でした。親子以上に歳の離れた我々の来訪を喜んでくれ、一緒に走り回ってくれました。それでもどこか不安げな表情を時折見せる子も多くいたように思います。余震があると身体を震わせる子、先生にしがみついて離れない子・・・我々に見せてくれた笑顔はほんの一瞬だったのかも知れません。当然、生命の危機を体験した子もいたでしょうし、家族を失った子もいました。それでも健気に頑張っている姿にはこちらが元気と笑顔をもらったように思います。
我々が当初から守っている事、それは現地で見たこと・聞いたことを持ち帰り、地元に伝えることです。その手段として第20弾まで続けた「活動報告書」でした。少しでも報道されない「真実の状況」をお伝えするために写真を入れてカラーコピーで製本し、少しでも感謝の気持ちを伝えたいと封筒の宛名書きは手書きにしていました。後半では流石に250部近くの宛名書きを見かねた仲間がラベルを作ってくれ、更に経費が大変だろうから、とホームページで見られるようにアドバイスをしてくれ、第21弾からは現在の形になっています。あすなろには毎回必ずと言っていいほど初めて東北へ行く、という参加者がいます。そして必ず聞くのが「実際に自分が見たものは想像もしていなかったものだった」とか、「もっと早くから参加すれば良かった」という言葉です。現地へ行かない限りはマスコミで報道される「明るい話題」を鵜呑みにせざるを得ません。各地で復興が始まっている、店舗がどんどん建てられている、そんなキレイ事しか見ていないんです。いまだに残る震災遺構、雑草が蔓延った田畑、放置されたままの被災家屋、数こそ減りましたが時間が止まったままの場所がまだまだあります。そんな光景を目の当たりにすれば当然先程の言葉になりますよね。一度は自分の目で現地を見て欲しい、それも言い続けて来ました。何百枚、何千枚の写真で説明するより現地へ1日でも2日でも行って、仮設住宅の中を見せてもらったり現地の方の話を聞いた方が説得力があります。百聞は一見にしかず、正にその通りです
今回初めて参加してくれたスタッフから、お菓子の提供の申し出が早速ありました。また、今回提供してもらった畳10数枚があっという間に持ち帰られたのを見て、更に次回にと数十枚の畳の確保を約束してくれました。中学生の女の子たちも、また参加したいと言ってくれました。やはり実際に現地入りして何かのスイッチが入ったんだと思います。
私自身の勝手な希望で、これまであすなろは他の大きな団体や大きなイベントには参加して来ませんでした。それぞれの主催者の想いがありますので様々な工夫を凝らし、経費を掛けて素晴らしいイベントをされているところもあります。ただ、あすなろは全くのボランティアグループであり、活動中の飲食・宿泊費などは全て各自負担、社員も日当は付きません。活動に掛かる経費も極力皆様からのご協力やご寄付、、地元のバザーなどでの収益で賄っております。従って、最近になって「炊き出し」のようなことも取り入れますがどうしても規模の小さな仮設住宅でしか行えません。その分、手持ちのノウハウを最大限に出し、配布する物資もひとつずつ検品したりビニール袋に入れたりして失礼にならないよう配慮しますし、残った物資やゴミなども持ち帰ることで先方にご負担を掛けないことを心掛けて来たつもりです。炊き出しと言ってもスタッフの食事を兼ねるような場合もありますので、正に「同じ釜の飯を食う」状態です。振舞うんだ、という気持ちではなく一緒に食べましょう、というスタンスなんです。それを誰が言うともなく、ごく自然に出来るのが我がスタッフの素晴らしいところです。また、個々の得意分野でそれぞれが出来る活動もお願いしています。医療関係者がいれば健康相談や血圧測定もして戴きました。家電に詳しい人には仮設住宅で修理をしてもらいました。保育士さんにはもちろん子どもの遊び相手、学生さんにはイベントの飾り付け、料理の出来る人には炊き出しの担当・・・。それぞれが自由に好きなことを行うのもあすなろの特徴なのかもしれません。他の団体さんと一緒だと中々自分がしたい活動が出来ないことがあります。一つの団体として活動する訳ですから、色々と制約があります。だからこそ気ままに自分たちのスタイルを貫きたいという理由であすなろ単独の活動を重ねて来ました。この手段が最善であるとは思っていませんが、訪問先の世帯数、年齢構成などその都度状況に合わせた活動をすること、訪問先で何を期待されているのかを考え、絶対に「お仕着せ」にならないようという配慮はしているつもりです。
ボランティアを継続している、と言うとまだやっているの?とか、もうかなり復興したんじゃないの?と聞き返されます。中には「会社が儲かっているから出来るんだろう」とか「売名行為が目的じゃないのか」といった厳しい声も聞かされました。そんな言葉を聞くたびに、もうそろそろ活動を辞めようか、と真剣に考えたことも正直何度かありました。以前の報告書にも書かせて戴きましたが、トラック1台走らせると約十万円の経費が掛かります。燃費3km/ℓの大型車を出せば燃料代だけで10万円です。当社は自慢ではありませんが決して余裕がある訳では無く、いつどうなるか解らない、非常に厳しい経営を強いられています。それでも、物資を送って戴いたり、応援して戴く人があり、我々の訪問を楽しみにしてくれる人がいるんです。実際に現地へ行けば、まだまだ配布会で物資を求める人は大勢います。しかも高齢者が圧倒的に多いんです。店舗が出来ても買い物に行く足が無い、辺鄙な所に建てられた仮設からほとんど外へ出られない、という状況を嫌というほど見聞きしてきました。スーパーのある街まで車で片道約1時間という所もありました。病院へ行くにもバスが1日2便しかないとか、想像を絶する不自由な暮らしを強いられている人がそこにいるんです。だからこそ我々が訪問先に選ぶのはそのような支援の手が行き届いていない場所でした。ボランティアをするのに理由はありません。困っている人がいて、たまたま私たちが何らかのお役に立てる状況にいた、というだけで儲かっているからやっているとか、売名のためにしているんではありません。行きたいから行く、待っててくれる人がいるから行く、と言ったほうが解りやすいでしょうか。自分の家族や親友が氷点下になる部屋の中で毛布だけで過ごしていることを知ったらじっとしてはいられないでしょう。現地の状況を知ったからこそ、何か出来ないか、と思うのはごく自然だと思います。幸い生業が運送業であり、トラックで大量の物資を運ぶことなら自分に出来るボランティアだ、という単純な発想が原点でした。そのことに対し、もちろん報酬や見返りを期待もしません。損得勘定をすればその時点でボランティアでは無くなります。変な話、ボランティアを続けるためには当然本業にも力を入れなければなりません。この2年7ヶ月の間、自分なりに本業でも頑張ったと自負しています。ボランティアが出来なくなれば、それは会社の終焉を迎える時、というくらいの気持ちで突っ走って来ました。会社経営とボランティアとどっちが大事なんだ、とお叱りの声も言われかねませんが、今の自分にとってはどちらも大事だと言い切れます。世の中にはこんなお人好しがいてもいいじゃないか、と言い返しています。私自身も少し強くなったのかな?とにかく、今は周囲からの誹謗中傷に臆することなく、自分が出来ることは背伸びをせずにやっていこう、見てくれている人は必ずいるんだ、との想いです。
長々と生意気なことを書き連ねましたが、30回目の節目に際し、「あすなろ応援便」の概念を述べさせて戴きました。この文面から私共の復興地への想いを少しでも感じて戴ければ幸いですし、共感戴ければ何よりです。今後も「支援」ではなく「お手伝い」、「助ける」のではなく「支え合う」気持ちを忘れず、東北の「仲間」と一緒に復興のお手伝いを続けて参ります。何卒、皆様の温かい応援を引き続き心よりお願い申し上げ、これまでの御礼と、感謝の言葉とさせて戴きます。ありがとうございました。
第30弾の活動報告書はなるべく早くアップさせて戴きますので乞うご期待!