あすなろ応援便をご支援戴いている皆様、大変お待たせ致しました。m(__)m
ようやく落ち着きましたので遅れ馳せ乍ら第29弾の活動報告をさせて戴きます。先ず始めに今回の活動に際し、ご寄付のお願いをさせて戴きましたところ、目標額を大きく上回るご協力を戴きました事に心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。改めてご協力戴きました方のご芳名、使途等は別途ご報告させて戴きます。
今回は7月27(土)~28日(日)の2日間、夏まつりを開催させて戴きました。陣容はスタッフ15名、大型トラックとマイクロバスでの訪問となりました。いつものレギュラーメンバーが所要で少なかったものの、新規にご参加戴いた方も半数ほどあり、いつになくフレッシュな気分での活動でした。然しながら、最近は何故か天候との相性が悪く、皆様ご存じの通り27日は東北は大雨、我々の目的地である陸前高田市は前日からの大雨で警報が発令されており、あちらこちらで土砂流出や冠水で道路事情も悪く、現地では辿り着けないんじゃないか、夏まつりは中止じゃないか、とかなり気を揉んで戴いたようです。然しながら諦めの悪い応援便、「何とかなるさ」の精神でひたすら北上します。不思議なもので、道中は殆ど雨も無く、福島県を通過する頃から雨に見舞われました。一関ICから気仙沼、陸前高田と進むにつれ雨足も激しくなり、奇跡の一本松の近くにある「星石油」さんの前の道路は完全に冠水して通行止め、迂回路で気仙大橋を渡り、そのまま市役所やMAIYAのあった辺りを回り、目的地である滝の里工業団地仮設住宅へ。
左は気仙中学。右は復元された一本松。窓も開けられないほどの雨でした。
道の駅「高田松原」 雑草が伸びた旧市街地も水没していました。
滝の里に到着した愛車「マリリン」と集会所。駐車場も水浸しでした。
既に集会所では窓口となって戴いた石川さん親子、自治会長さん、お手伝いのお母さん方が準備を始めて戴いていました。しかし、雨・・・。 ところが、数分もしない内に雨が降り止み、空が明るくなってくるではありませんか! 「いつ始める?」 「今でしょ!!」と、既に死語となりつつあるギャグが飛び出すほどテンションが一気に上がります。挨拶もそこそこに、まずは集会所内へ本日の食材の搬入。とは言っても、米30kg、ハマグリ40kg、みたらしだんご300本、綿菓子にポップコーン、そうめん、そして今回も夜中の2時に蓮田SAでお渡し戴いた大石さんのかき氷セット一式。これだけで初参加のメンバーは目を白黒させています。すぐに我社の誇る料理人M氏とH氏に調理を始めてもらい、残ったスタッフでイベントの準備に取り掛かります。滝の里でご用意戴いたテント3張りを駐車場の中央に設置し、輪投げやゆらゆらコインといったゲームコーナー、綿菓子・ポップコーンの準備をしていると見慣れた顔が!そうです、釜石のお祭り男「勇人君」が今回も駆け付けてくれました。すぐさま一角に積まれていた砂利を水溜りに投入してくれています。それを見た仮設の子供さんたちが自発的にお手伝い。何とも素晴らしい光景を見せて戴きました。
集会所内では炊き出しの準備で大盛り上がり。今回はMさんの発案で三重の郷土料理でもある「てこね寿司」を振舞おう、となっていました。何せ、約300人分を想定しましたので食材も半端な量ではありません。米30kgは事前に石川さんにお願いし、ご婦人方がすでに炊き上げて戴いていました。現地で調達したカツオ10kg、醤油3リットル、砂糖4kgに酢4リットルを混ぜ合わせてあっという間に「てこね寿司」の完成です。
写真のオジサンが当社の庖丁人・H氏。前職で魚市場に勤めていた経験もあり、魚介類には自信あり、というスタッフです。調理長以上に存在感を発揮していました。
さて、準備が進むのと並行して外では自治会長さんの開会挨拶、私も一言ご挨拶させて戴き、オープニングは前回に続き「折鶴みこし」です。今回の為に残していた折鶴を全て使いましたので前回よりも重量もあります。それでも元気一杯の小・中学生に担がれて祭囃子の音楽に合わせて会場を一周。
お神輿はこの滝の里仮設住宅でイベント終了後に解体され、折鶴も希望される住民の皆さんでお分けいただきました。ご協力、本当に有難うございました。
さて、イベントも怪しい雲行きを睨みながらも順調に行われます。テントの中では輪投げやゲームで次々に景品を手にする子供さんの笑顔、それに合わせてイイトコを見せようと必死にサービスに努めるスタッフ。てこね寿司が落ち着いたのを見計らって流しそうめんの準備をするグループ、三重の名産品「ハマグリ」を焼く人、みたらしだんごに取り組む人、あちらこちらで我がスタッフがロクな打ち合わせも無いまま手際よく動いてくれます。それにも増して嬉しかったのは住民の皆さんが進んで準備に参加して戴いたことです。以前にも「押しかけ・押し付けでは無く、現地の方と一緒にする活動」を目指していた我々にとっては今回は正にそれを実現できたと感じました。みんなが一緒に何かを作ったり、遊ぶことがより思い出深くなると思っていましたし、何より被災者・支援者という壁を無くすには最適だと感じていたんです。予想通り、あちらこちらで話も弾み、身の上話から世間話まで本当に気さくな時間を過ごさせて戴けました。後ほど初参加のスタッフからもマスコミでは知り得なかった貴重な話を聞くことが出来た、とか如何に住民の皆さんが不自由な暮らしをされているのかを聞き、また是非参加したい、という声を聞くことが出来ました。衛生上の問題があるかも知れませんが、我々はこのようなイベントの時には子供さんたちにも自由にかき氷や綿菓子を作ったり、そうめんを流してもらったりします。普段はなかなかそのような機会もないんでしょうが、自分で作ることの喜びを経験した子供さんは素晴らしい笑顔を見せてくれます。兄弟や小さい子供さんのために一生懸命慣れない手つきで綿菓子を作り、自慢げに手渡す光景を見ていると自然にこちらも笑顔になります。
三陸では珍しい焼きハマグリ。 お母さん方は大量のそうめんを茹でてます。
夢菓子工房ことよさんのみたらしだんご。焼き手の腕に関係なく美味しいです。(^^ゞ
カッターシャツのおじさんはずっとハマグリ担当。大工のM君はかき氷の指導中!
スタッフの数が足りなくてもお母さん方が完璧なフォロー。有難うございます。m(__)m
N先生も綿菓子職人からそうめん職人に転身。なかなか手際良いですよ。 ゆらゆらコインというあすなろの看板メニュー。水槽の底に沈めた小皿に1円玉を落として乗せる、という単純なものですが、意外に難しく、何度も挑戦していました。
写真をご覧戴いてもお気づきの通り、時折小雨が降る程度で全く中断せずに順調にイベントを消化しています。やはり神様が見ていて下さるんでしょうか、それとも参加者全員の願いが届いたんでしょうか。この日は「記録的な大雨」だったそうです。
食べるものも食べ、ゲームも一通り楽しんでくれたのを見届け、アトラクションに入ります。既に雨か汗か解りませんが、大人も子供も程良く(?)濡れています。子どもたちを集め、手のひらに収まるような小さな水鉄砲を全員に渡し、全てに行き渡ったのを見届けてから3名の選抜メンバーに大きな水鉄砲を手渡し、「ウォーターバトル」の開幕です。要するに大人対子供の水鉄砲による銃撃戦なんですが、如何せん多勢に無勢、元気一杯の子供たちに対して徹夜に近い状態で遠路はるばるやって来たオジサンではこれぐらいのハンデが無くてはたまりません。それでも遠慮なく「ずるい!」「ヒキョーだ!」と罵声を浴びながらも開戦!何故か渡しの手には水鉄砲が・・・。とにかくやるしかない、とばかりに年甲斐もなく子供を追いかけます。暫く走り回っていると本命発見!すぐに水鉄砲を託し、ヘロヘロの私は戦線離脱。後は元気なメンバーに任せました。
三重であろうと釜石であろうと、子どもたちには関係無し。勇人君、子どもたちに大人気で下着までびしょ濡れになりながら頑張ってくれました。翌日風邪を引いたとか引かなかったとか・・・。
給水ポイントでは攻撃禁止と言っても容赦なく水を掛けられます。選抜メンバーの皆さん、お疲れ様でした。m(__)m
私の小さい頃、夏になると水遊びで頭の先から足の先までずぶ濡れになるまで遊び、親からは「着替えが無いよ!」と叱られたものです。今回、事前に水着又は着替えの準備を、という触れ込みはしておいたのですがまさかこんなことをするとはお母さん方も想像していなかったでしょうね。それでも怒ることなく、温かい目(白い目?)で終始見守って戴きました。いまどきの子供って、こんなバカなことをする機会が無いと思うんです。思いっ切り走り回り、大声で笑う・・・転んで怪我をしても「ツバつけときゃ治る」と鍛えられた我々の時代とは全く違うんでしょうが、少しでもストレス発散が出来たんじゃないかな、と思います。子供さんにしても、震災時の恐怖、不自由な避難所生活を経験し、今は仮設住宅での生活を強いられています。当然、家族に犠牲者が出た子もいます。いろんなストレスを溜め込んでいるはずなんですが、ここの子供さんたちは本当に明るく、元気一杯でした。だからこそ、少しでも一緒にいる時間は自分も童心に帰って思いっ切り子供たちと触れ合いたかったんです。滝の里のお母さん方、洗濯物を増やして申し訳ありませんでした。
さて、白熱したウォーターバトルも終わり、次に用意したのが「スイカ割り」。やっぱり夏と言えばスイカでしょ、とスタッフH君が知り合いの青果業者から仕入れてくれた大きなスイカを子供たちに割ってもらいました。驚いたことに、スイカ割りを初めて見た、という子もいて、時代の格差に唖然としましたが、とにかくルールを説明して開始。H君がタオルで目隠しをしてそのまま10回転、目標までの約10mをみんなで拍手や声援で誘導します。なんと、トップバッターから一発命中!本人ノセンスもあるんでしょうが、取り巻いた子供たちのリードがなかなか要領を得ていたのが良かったのかな?
スイカ割りと食事風景のスナップをご覧戴いています。この中で印象に残っているのが背負われた赤ちゃんにそうめんを食べさせているお母さん。ここの住民さんは本当に仲良さそうで、子どもたちもたくさんの「保護者」に見守られて幸せです。かき氷に色んなシロップをかけて満足そうな子、珍しいと言いながらハマグリを食べつつ三陸の海の幸の自慢をする方、ちゃっかりと住民に紛れて遠慮なく食べ続けるスタッフ、子どもと流しそうめんのポジション争いを繰り広げていた勇人君・・・それぞれが私にとっても素晴らしい思い出になることは間違いありませんし、参加して戴いた皆さん一人一人がいつまでも記憶に残して戴けたら、と願ってもいます。
依然として雨は小康状態。テントの中のイベントブースからは景品も殆ど無くなりましたのでいよいよ応援物資の配布会です。今回も全国からお寄せ戴いた物資を積めるだけ積んで来ています。事前に要望を伺っていた布団・毛布類、パイプイスや陶器、衣料品からおもちゃ・ぬいぐるみ、消耗品に家具とまたしてもバリエーション豊富な品々に歓声が上がります。
第29弾はトラック1台でイベント関連の部材や食材を積んでいたため、大量に、とまでは行きませんでしたがそれでも結構なボリュームでした。仮設住宅ということもあり、家具類は極力減らしたんですが、出発の2日前、いつもご支援戴いている長崎県のHさんからご連絡があり、神戸からご提供戴いた立派な食器棚とベッド、四国中央市のKさんからご提供戴いた学習机、地元から戴いたサイドボード、そして三重大学付属病院から提供戴いたパイプ椅子120脚、ベンチシート3脚を持ち込んだ所、全て希望者があり、お渡しさせて戴きました。最近、ようやく家を建て直したりアパートに入居が決まったりした方が出始め、これから家具類などは全て買い揃えて行かなければならないそうです。パイプ椅子も足の悪い高齢者の方が自宅や集会所で使いたい、という要望があり、サイドボードも集会所に於いて戴くことになりました。悲しい事に、2年半以上経過してもまだまだ物資が不足している感は否めずこれから復興住宅に移ればまた一から家財道具を揃えなければなりません。まだまだ応援は必要であると言わざるを得ないのが現状です。それでも少しずつでも笑顔が戻り、店舗やイベント行事が増えつつあるのは喜ばしいことで、観光客も徐々に増えて来た、とも耳にしました。依然として厳しい現実があることは間違いありませんが、僅かでも復興へのお手伝いを出来る限り続けられれば何よりです。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後にお手伝い戴いた住民の皆さんとスタッフで記念写真。恥ずかしながら「やり切った感」を表現した写真をアップし、初日の報告とさせて戴きます。お世話になった石川さんはじめ滝の里の皆さん、ご多忙の中わざわざ駆け付けて戴いた勇人さん、本当に有難うございました。