活動日 平成24年08月18日~08月19日
今回の訪問先
- 岩手県陸前高田市
- 宮城県亘理郡亘理町
お待たせしました!第20弾、「夏まつり」の報告をさせて戴きます。
今回の目的はあくまでも夏まつり。今までは物資配布など、復興地への「応援便」としての物資輸送が主体でした。そんな中、大船渡での夏まつり、秋まつりを試みたところ子どもたちにとっては辛い一年の内でも数少ない「楽しい思い出」と未だに言ってくれます。昨年は少々遠慮もあり(震災後僅か4ヶ月位でしたので)、準備も十分整わないうちに見切り発車をしてしまいました。
あれから一年経ち、不自由な中にも少しずつ日々の生活にも慣れて来ただろう、と今年も夏まつりを企画しました。6月に陸前高田市の「竹駒保育園」さんへ絵本の輸送をさせて戴いた時にたまたま来園されていたすぐ近くの「下矢作保育園」の園長先生と立ち話をしていた時、去年は助成があったので夏まつり(夕涼み会)を開催出来たけれど、今年はそれが無いので祭も盆踊りも出来ない、とのことでした。そんな悲しい話を聞いた途端、「ええ格好しい」の私の口から出た言葉が「先生、我々に夏まつりのお手伝いさせて下さい!」
即決でした。希望される保育園が決まったのですから早速三重に帰ってからイベントの内容作りに取り掛かりました。然し、陸前高田と三重は約1,000kmの距離があります。おいそれと下見や打ち合わせに行くことも不可能です。結局メールで2~3度遣り取りし、電話で1~2度の打ち合わせのみ。保育園の写真は絵本の時にお世話になったMさんからメールで戴きました。想像の世界でトラックの配置、イベントブースのレイアウト、景品や地元の方への物資の募集、スタッフの募集、備品類の調達と7月中旬からお盆までは殆ど仕事そっちのけ状態で頼もしいパートナー、T社長と右へ左へ、東へ西へとフルに走り回りました。その甲斐あって支援物資は大型車1台半満載、残りのスペースにはイベント関連の品々一杯でマイクロバスには23名のスタッフと過去最高の陣容となりました。何より嬉しかったのは今回の夏まつりに地元四日市をはじめとする三重のボランティア仲間が半分以上参加してくれたこと、市の社会福祉協議会や企業からもイベントに使う道具や着ぐるみなどたくさんの提供・協力を戴けたことでした。こうして考えれば「夏まつり」という遊びが目的の活動だったからとは言え、やはりどこかに東北の子どもたちを笑顔にしたい、という想いが集まったのだと思います。今回は私自身も「思いっ切りハシャグ」心意気ですので、準備がほぼ完了した盆明けには相当気持ちが昂ぶっていたことを思い出します。
出発前です。左の1号車は既に紅白幕を張り、さらに物資の積み足しをしました。2号車は天井までびっしり、芸術的な積み上がりです。
1号車は午後4時頃先発し、2号車とマイクロバスは午後6時半出発です。今回は連休の渋滞を避けるため伊勢湾岸道から中央自動車道、上信越道、北関東自動車道を経由して東北道へというルートを選択しました。途中、スタッフ1人をピックアップするため刈谷SAへ。
ここまでは全て順調でした。
応援便史上初のトラブル続出!
刈谷SAまでは本当にスムーズでした。みんな明日の楽しいイベントの話で盛り上がっています。その時、T社長から衝撃発言が! 「かき氷機、忘れた・・・」 夏まつりと言えばかき氷、既に保育園にはかき氷もあることを伝えてあり、子どもたちはすごく楽しみにしています。今更無いとは言えず、取りに戻れば大幅な時間のロスです。顛末は後ほどまとめますが、これは単なる序章でした。とりあえず次の休憩場所を確認し、運転をN君に代わってもらいかき氷機の手配をしながらふとバックミラーを見ると、ついて来ているはずのマイクロバスの姿が見えません。しばらくしてT社長からTEL。「岡崎通過した・・、これって道違うよね?」はい、見事に東名高速を走っています。豊田JCTで間違えたんでしょうね。豊川ICの看板が見えた、と聞いた瞬間にUターンの指示を飛ばします。下り線は渋滞5kmとかで、確実に1時間以上遅れることは間違いありません。そのまま東京を抜けることは可能だったんですが、この時点で横浜IC付近は30km以上の渋滞という情報が入っています。その時、先発した1号車から連絡。「更埴ICから先が大雨で通行止」 確かに岐阜から長野・群馬にかけて雨模様であることは知っていましたが、通行止となるほど降っているとは思ってもいませんでした。時計を見ながら1号車にはそのまま上越へ抜けて、新潟から福島へ抜けるよう指示しました。距離は少し伸びますが現地へ予定通りには着ける時間です。こちらも同じルートで、と考えましたが、栃木のK社長から「かき氷機確保」の連絡が入りましたなんでも一緒に東北支援のボランティア仲間が2台持っていて、それを我々に貸して下さるというのです。しかも、その持ち主は埼玉県川口市。それをK社長がわざわざ栃木から取りに行き、東北道で引き渡してくれるというのです。このK社長とは昨年釜石の配布会で初めてお目にかかり、その後1度会社へ伺った程度のお付き合いです。元々は釜石の佐々木さんのブログから繋がっていったんですが、埼玉のMさんもそのブログ仲間でした。改めてインターネットの偉大さ、それ以上にボランティア仲間というだけの繋がりでここまで応援してくれるのか、と信じられない気持ちと有難さに思わず目頭が熱くなりました。午前2時、東北道のPAでK社長と合流し、かき氷機とたくさんの支援物資もお預かりし、これで子どもたちの期待に応えられると安堵しました。すぐに出発、マイクロバスも必死に追いかけてきたようで時差は1時間位に縮まっています。よーし、間に合う!と走っていると午前3時ころまたしてもT社長から電話が。「バスのエンジンが止まった!」何でも、SAで給油した直後に急に止まってしまったらしく、とりあえず高速本線に入る手前だったのでスタッフ全員SAへ待機したとのこと。といっても戻る事も出来ず、20名以上を乗せることもできません。心を鬼にして陸前高田へ向かう旨を告げ、双方で善後策を講じることにしました。このバスもメンバーの紹介で三重の温泉旅館からお借りしたものですが、なんせ平素は利用客の送迎用です。長時間の高速運転にエンジンが耐え切れなかったのでしょう。結果的にスタッフ2名がバスと共に修理工場へレッカー移動、残りのスタッフは急遽チャーターしたマイクロバスで陸前高田へ来ることになりました。一関IC手前のPAには1号車が到着しており、事の顛末を説明したあと、これからの打ち合わせです。この時点で我々も30分以上遅れることは確実でしたが、保育園に着いたらすぐに1号車の物資を全て卸し、ステージ作りや午前の部のアトラクションの準備など、たった4人でやらなければならないことを伝えました。ワクワクしていた顔からはさっと血の気が引いてたようです。そりゃそうでしょう、30名ほどで行う準備を4名ですから。今日は長い一日になりそうだ・・・。
下矢作保育園です。園児達がこの日のために一生懸命作ってくれた看板や提灯が心に痛い・・・。
到着時には園児たちが軒下に並んで我々を待っていてくれました。とりあえず名刺代わりのアトラクション(?)大型車の荷台に子どもたちを乗せてあげました。ウィング(屋根)の開閉をさせたりしてすごく喜んでくれたんですが、完全に屋根を降ろしたら真っ暗で怖かったのか全員泣かせてしまいました。ごめんね~。
下矢作保育園には心強い助っ人が来てくれていました。三重からT君、そして釜石から佐々木君。それでもこの時点の我々には百人力です。次々と家具やイベント部材を卸し、トランポリンのセッティング、水鉄砲の準備などなど仕事でもこんなに動かんぞ、というくらい頑張りました。その間、保育士さんたちが子どもたちの相手をして時間稼ぎをしてくれています。なんとか準備は出来たものの、今回サプライズとして企画した四日市のローカルヒーロー、「ゴミゼロレンジャー」に扮するスタッフがまだ栃木にいます。しかし、ここで1回目に出しておかないとシラケテしまう・・・。コスチュームは全部で8体あります。まだ準備もありますので6人が全員着る訳にもいかず、しかも皆視線を反らします。さすがに私も腹をくくりました。やるっきゃない!問題は着れるかどうか。このコスチューム、どう見てもLサイズです。一方私はLLサイズ。迷うことなく何故か悪役のコスチュームを選択したN君とT君は余裕で着こなしています。ここまできたらしょうがない、ファスナー壊れたらゴメンね!と心の中で詫びながらLサイズのコスチュームにLLサイズのボディを詰め込みます。なんとか着ることができました。
青のヒーローが私です。結構サマになっていると自画自賛しているんですが、外部からは「こんなパッツンパッツンのヒーローは見たこと無い」と一蹴。それを言うならピンクのかつらを被ったN君、唐草模様のフンドシ姿のT君、どこまで悪乗りしてんねん!それにしてもこの格好で約30分、広い園庭を走り回り、挙句の果てにはジャングルジムに駆け上って子どもたちの放水に応戦です。初めは嫌々だったけど、結構ハマってしまいそう!
トランポリンは大人気。結構本格的なもので、大人でも楽しめます。昨年は組み立ててテストした時に尾てい骨強打したっけ・・・。
園長先生の計らいで昼食は園児と一緒に。こんな小さな子どもたちでもしっかりと家の手伝いをしたり、欲しいものがあっても我慢する、みんなで助け合う、といったことを話してくれました。震災後、家族全員で避難所・仮設住宅で暮らしてきたことから自然に覚えたんでしょう。それでもとびっきりの笑顔を見せてくれました。我々はこの子たちから見てどう映ったんでしょうね?
陸前高田市下矢作地区。ここは海岸線から5~6km離れた山側にあります。それでも津波はこの地まで到達しました。少し低い所にある竹駒保育園は1.5mの津波で園舎が被災し、現在は仮設の園舎で運営しています。このあたりはそれほどでないにせよ、床上浸水などで大きな被害がありましたが家が流されていないために支援物資などは殆ど無かったそうです。昨年はアグネス・チャンさんもユニセフの関係で当園を訪問されたり、読み聞かせや大道芸などかなりのボランティアも来たそうです。ただ、それはあくまでも子どもたちのためであり、この地区に暮らす大人、とりわけ高齢者に対しての慰問は殆ど無かったと伺いました。どうせ訪問するのなら老若男女問わず、みんなで一緒に楽しんだり交流できる内容がいいな、と改めて思いました。
さて、午前中元気に遊んでいた園児たちも「お昼寝」の時間です。本来ならば我々も午後の部が始まる午後3時までは休憩する筈だったんですが、マイクロバスはまだ東北道を北上中。到着は2時半から3時になるとの事。勿論昼休み返上で今度はいよいよ「夏まつり」の準備です。事前に三重大学のスタッフが作ってくれた飾りをトラックに取り付け、テントを組み立ててイベントコーナー作り。今回は金魚・スーパーボールすくい、水風船(ヨーヨー)釣り、輪投げ、ゆらゆらコイン、カップインといった我々の得意とする縁日コーナー、かき氷・綿菓子・ネギ焼・みたらし団子といった飲食コーナー、更には去年は水の関係で実現出来なかった流しそうめん。スタッフの到着を待ちつつ少しずつ祭りの会場らしくなって来ました。殆ど準備が整いそうなタイミングで漸くスタッフを乗せたバスが到着しました。喜ぶのも束の間、全員で最後の仕上げです。会場には既にたくさんの子どもたち、保護者、近隣の住民の皆さんが集まって開会となるのを今か今かと待ち焦がれている状態です。
午後3時30分、園長先生の開会のあいさつでいよいよ夏まつりが始まりました。
大型車はメインステージに変身です。中央に掲げた「絆」の額はスタッフのHさんの紹介で松阪市在住の書道家さんからご提供戴きました。(最後に園長先生にお渡しさせて戴きました。) この「ステージ」を見て戴いても我々がこの夏まつりに懸ける意気込みを感じて戴けるんじゃないでしょうか。鎖状になった飾りも、三重の子どもたちがメッセージを書いてくれた短冊を繋いだものです。みんなの温かい心が一杯詰まっていました。
冒頭にも書きました通り、今回のスタッフの殆ど復興地を訪れるのが初めてで、半分以上は私も初対面でした。それでも自然に各自がブースに入り、ゲームを担当する者、団子やネギ焼を焼く者、ひたすら氷を掻き続ける者、不思議な位に見事な役割分担が出来上がりました。十人十色とは言いますが、本当に職人がたくさんいてくれて大助かりです。何せ、園長先生との打ち合わせは数回あったものの、スタッフとの打ち合わせは皆無です。一部の責任者には物資の仕分け時に「こんなことするよ」程度に説明はしていましたが正にぶっつけ本番。これはある種の「奇跡」ですね。
そうこうしているうちにスタッフのIさんが女子大生を引き連れて園舎内へ。「お、いよいよお出ましかな。」 今回、保育園さんが昨年から交渉していた陸前高田のご当地ヒーロー、「ゲイビマン」が来場していたんです。偶然にも我々がサプライズで用意していた「ゴミゼロレンジャー」と本当に良く似ていて、子どもたちにとっては夢のコラボになるだろうと秘かに思っていたんですが、予想的中です。
胸に「G」マークのあるのが「ゲイビマン」。四日市のゴミゼロレンジャーはヘルメットに「0」が記されているのが見分けるポイント。因みに黒いのは悪役で、ゴミをぽいぽいと捨てるから「ステルン」という名が付いてます。こんな格好で水鉄砲を持ち、会場内を走り回るんですから子どもたちは大興奮。恐らく夜はなかなか寝付かなかったでしょうね。ただ、子どもといっても赤ちゃんや2~3歳の子もいます。もちろん、そんな小さなお友達用にもう一つ隠し玉を投入。四日市のふれあい牧場さんからお借りしてきた牛の着ぐるみ登場です。戦隊モノに較べて「癒し系」ですので大変人気がありました。もちろん中に入っているのはあすなろに多大なる貢献をしてくれている三重大のHさん。建築工学の学院生という才媛ながら「どうしても着たい!」というご要望にお応えしました。完全にハマってしまい、この日と翌日、殆どの時間をこの姿で過ごしていました。
園長先生の話では、今回の参加者は軽く300人超えてる、とのことでしたが、保育園の夏まつりということで案内を出したため高齢者の方が遠慮されて来なかった人が結構いらっしゃったそうです。勿論、この場で皆様からお寄せ戴いた支援物資の配布もさせて戴きました。自宅のある方が殆どですので大きな家具などもどんどん引き取られていきます。生活消耗品はものの数分で完売状態で、まだまだ日々の生活に苦労されていることを感じます。
夜になり、大盛況となった夏まつりの余韻に一同ドップリと浸かり、園長先生たちに御礼の言葉を戴きました。園長先生も自宅が流されたそうで、現在は知人宅の離れで生活されているという話や子どもたちのこと、地域のことなど、直接現地の話を聞いて昼間に大はしゃぎしていた学生さんたちも流石に神妙な面持ちで聞き入っていました。ここで「絆」額をプレゼント。保育園に飾って戴くことになりました。
今夜はこの保育園で泊めて戴くことになっています。当初、宿の手配をしたんですが人数が増えたためにどこも確保出来ず、その事を知った園長先生のお計らいです。保育園に泊まるなんて貴重な体験、なかなかありませんよ。8月であるにも関わらず、夜はクーラーが要らない涼しさです。先生が気遣って戴いてビールの用意までしてもらったのですが、我々あすなろ応援便は活動中は原則として禁酒です。夜中に花火で嬌声を上げるようなことも控えています。若いスタッフには申し訳ないんですが、我々の活動はあくまでも復興地の応援であり、遊び目的では無いことを承知して参加してもらっています。飲みたそうな顔をしている輩もいましたが、岩手の自然に囲まれた静かな夜はこうして更けて行きました。(ご用意戴いたビールは有難くお土産として頂戴し、三重に帰着後分配させて戴きました。m(__)m)
楽しい時間はあっという間に過ぎ、翌日も場所を変えて再度夏まつりです。しかし、いくら今回は夏まつりが目的とは言え、このままでは現実を何も知らずに初参加のスタッフを還らせることになります。我々は現地の現状を地元に持ち帰って伝えることを第一に考えています。やはり今回も現状を見てもらわなくては!
朝5時半過ぎ、見慣れたマイクロバスが入って来ました。我らがS部長、昨夜から急遽「代車」となるバスに乗って駆け付けてくれたんです。このバスが無ければ20数名がここから動けなくなるところでした。到着するや否や、既に身支度を整えていたスタッフに「今から市街地の視察に行く」と声を掛け、午前7時に陸前高田の市街地へ向け出発しました。市街地とは言え、そこにはいくつかの建物が残っているだけで他にはなにもありません。何度も来ている所ですからカーナビも案内人も不要です。これまでに聞いたり知ったりしたことを説明しながら市役所、消防署、マンション、球場、ホテルと廻りました。市役所などは内部は殆ど震災時のままで献花台には沢山の花などが供えられています。自然に手を合わせ、数人は涙ぐんでいました。約1時間ほどの短い時間でしたが、何かしら感じるものがあったことでしょうし、貴重な時間だったと確信しています。まだまだこれが現実なんです。
保育園に戻り、園長先生を囲んで記念撮影。今度はクリスマスかな、などと早くも次回の訪問の話まで飛び出しました。近くの方もわざわざ見送りに来て戴いたり、本当に充実した時間を過ごさせて戴きました。名残惜しいですが、次の目的地である宮城県亘理町まで出発の時間となりました。
陸前高田からは「奇跡の一本松」を車中から見て国道45号線をひたすら南下しました。このコースは気仙沼・南三陸を通ります。あれほど賑やかだったスタッフもほとんど喋ることもなく、それぞれのカメラに「復興地の現状」を納めていたそうです。新たな店舗や民家も建ち始めてはいるものの、恐らく彼らが想像していた風景では無かったのでしょう。このことを一人でも多くの人に伝えてもらいたいと思いました。
以上で初日の活動報告は終わりです。2日目の報告は
追ってアップさせて戴きます。 (^.^)/~~~